鍵屋肥児丸が漢方小児家伝薬としてその製法確立をみたのは今をさかのぼること300年、時は江戸・元禄にその端を発する。
紀州藩出身で当時長崎在住であった立石開祖の手により、中国漢方古書を元とする「回春肥児丸」を日本人の体質に合わせ処方改善し造りあげられたのがその始まりである。
後、江戸中期寛保年その製法は当時漢方医であった森久二郎へと引き継がれ、この時この家伝薬に今日の「鍵屋肥児丸」の名が付されることとなる。
尚、屋号の「鍵屋」は錠前の鍵の製法技術を秘密としたことに倣い、薬の製法もまた秘伝とされた時代に殿様より贈った屋号をそのまま踏襲している。
この鍵屋肥児丸が福地家へ伝わったのは、森家12代、森セイがその製法を持ち福地家へ嫁いできた明治これ以来の事となる。
本来この家伝薬の処方は、既述の鍵屋肥児丸と、一方鍵屋奇應丸の二通りが存在したが、後者である奇應丸はジャコウ、犀角、熊胆、牛黄等を原材料とする動物性漢方薬である為、動物保護条例に基づき現在では止むを得ず製造自粛の形をとっている。
幸い肥児丸の方は純植物性漢方薬である為、厚生省認可の医薬品として現在も開祖当時の製法のままに累代家伝の小児胃腸良薬として今日の製造販売に至っている。
戦後間もない、テレビがまだ今日のように普及していない時代、当代でも珍しいチンドン屋を肥児丸のPR方法として採用。この斬新な宣伝方法は市内でも評判となり、市民の方々に大変親しまれていた。長崎では初めてのチンドン屋として三味線を弾き、飾り傘をさして肥児丸を宣伝してくれていた宣伝マン、伊藤音二郎さんを思い偲んで下さる方々もまだ多くいらっしゃる。皆様の祖父母の方々も御存知の長崎の名薬は今も当時のままに息づいている。
故郷の思い出に、そしてかわいいお子様、お孫さんに、これからも鍵屋肥児丸を家庭の常備薬とし末永く御愛顧頂けるよう、切にお願い申しあげる次第である。
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