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2017年のNHK大河ドラマが、女優の柴咲コウさん主演の
「おんな城主 直虎」に決まったそうですね。

直虎、すなわち井伊直虎は戦国時代の女武将。
かの井伊直政を養子にとり、また後見人を務めた人物でもあります。
その井伊直政といえば、有名なのが井伊の赤備え。
赤い鎧甲冑を身にまとうとから、直政率いる部隊はそのように称されました。
ちなみに赤備えの元祖はといえば武田軍が有名です。

赤備えならぬ、秋備え

冬に備えて、秋の過ごし方に配慮する。
先日の繰り返しになりますが、
秋という過ごしやすい時期に、過ごしやすさに任せて無茶をするか。
それとも秋が過ごしやすいからこそ、余裕をもって行動していくか。
その分かれ道が、次のシーズンである冬にじわじわと効いてきます。

少し前まで当たり前だとした自然や天候への認識が、
最近はどんどん通用しなくなってきています、
それは返せば、ますます自然への備えが
必需になっているということではないでしょうか。
そして、それは健康面でも同じでしょう。

夏でいえば、暑さも一つの災害と見立てることができます。
暑さをどうこうする以上に、
暑さに備えてからだを作り、整えていくことが大切になります。
乾燥や寒さについても同様です。
有事の備えは平時にこそ。今こそ通用する、古人の教えといえますね。

一病息災。
一昔前は無病息災といわれていましたが、
最近では高齢化の波を受けて、このような表現も浸透しつつあるようです。

一病息災というのはなかなか奥が深い。
私などは、息災でいられる事と病を抱えない事とは実のところ、
無縁、もしくは縁遠いということを実にうまく表現していると感じました。

病は確かに、己が息災、健康を傷つけ損なうもの。、
ですがその一方で、抵抗力や免疫力、治癒力といわれるような
己が息災、健康というものの「利き」は病を退ける役割を果たします。

病が大きくなるほどに、邪気が充実する。
健康が大きくなるほどに、正気が充実する。
そしてからだの中ではこの邪気と正気がいわば、相撲をとっているわけです。

病状を治めるのに、少ない投薬で事足りる方がいる一方で
いろいろな薬を服んでも、なかなか治まらない方がいるという現実。
この事は、後者が
それだけ多くの薬に頼らざるを得ない健康しか持ち合わせていない、
健康の利きが大変に悪い状況に陥っている証拠
ではないでしょうか。

病ありきで健康を考えますか。
息災ありきで病を見つめますか。
病ありきで健康を考えるのは、きっかけとしては悪くないでしょうが、
ともすれば視野が狭くなり、あげく健康そのものに
制限を設けてしまうのではないでしょうか。

病に対する反骨精神とでもいうんでしょうか・・・
がんだから・・・、と可能性を縮めるのか。
がんだけど・・・、と可能性を伸ばすのか。
言わずとも、一病息災の考えは後者です。

ここ京都では、盆明けからの雨天も相まって、
湿気は変わらずとも、暑さはいささか(というかかなり)和らいだようです。
ここが都市部でなければと、悔やまれるところ。

暑さに合わせて、エアコンの設定温度を変えるがごとく、
口に入るものや身につける衣服などにも気を配っていきましょう。
「季節の変化に先手を打つ」のが養生の基本の一つでしょうから。

過ごしやすい時期に、過ごしやすさに任せて無茶をするか。
それとも過ごしやすいからこそ、余裕をもって行動していくか。

その分かれ道が、次のシーズンである冬にじわじわと効いてきます。
何ともアリとキリギリスの童話のような話ですが。
わたしたちの健康にとっての貯金は、
過ごしやすい秋、そして実り・収蔵の秋にこそ取り組むべきものだと思います。

お盆明け。そしていずれ訪れる夏休み明け。

休み前は楽しみだけど、休み明けはしんどい。
・・・という経験はよくあることではないでしょうか。

例えば、夏休みの間、夜が過ごしやすいからとして
夜更かしの生活を続けると、本人も気がつかないうちに、
心身は夜型にシフトしてしまいます。
ただ、人間は本来、夜行性の生き物ではありませんから、
実際は誤魔化しながらの状態になります。
それが休み明けには元の昼型に戻るわけですが、
当然、そこには夜型と昼型のズレがあります。
このようにして休み明けの不調の一つには、
からだに刻まれたリズム(体内時計)と実生活のリズムのズレ
引き起こされるものが考えられます。

また、普段忙しい環境に身を置く方が、
休み中、時がゆっくり流れる雰囲気や環境に慣れると、
リフレッシュはできるものの、ときが経つほどに、
元通りの生活に戻るときにも「ズレ」が生じやすくなります。

人間、自分の好きなことをするとき、心も弾むものです。
休み前や休暇中も同様で、気がそちらに向きやすい。
言い方を変えると、気が乗りやすい。
逆に、自分の嫌いなことをするときは、気持ちがついていかないものです。
休み明けも然り、気がそちらを向きにくい。すなわち、気が乗らない。

気の乗らないことをやるのが大人・・・かもしれませんが、
その一方で気が乗らないと、身も入らないということもあります。
そして、人間のからだは、24時間いつでも気が乗るようにはできていません。
お天道様の日の出、日の入と同じくように、気にも出があれば入があります。
気が乗るというのは当然、「出ているとき」の方が適いやすい。

今の時代、その気にさせる刺激には事欠きません。
最初に述べた休みや休暇も、その間に
いつもとは違う過ごし方をすると考えれば、一つの刺激とみなすこともできます。
そして刺激は誤った用い方をすれば、リズムを乱します。
気の出と入のリズムを整える良薬となるか。それとも乱す劇薬となるか。
私達はこの点を肝に銘じておく必要があるでしょう。

冬かぜ、夏かぜという表現があります。
冬に引くから冬かぜ。夏に引くから夏かぜ。

その解釈も誤りではないでしょう。
ただ、夏に引いたかぜだからこの処方薬で・・・、
また、冬に引いたかぜだからこの処方薬で・・・、
というようにすんなりと事は運びません。
何時の時期に引いたかというよりも、
どういう症状が現れているのかを把握することが大切です。

例えばの話、夏の暑い時期に、冬かぜと同様の症状に陥った場合、
それは冬かぜの処方薬(例えば葛根湯)で事足ります。
ただし、実際はそのようなことは極めて稀です。

簡単に言えば、夏は暑くて湿気が盛んで、冬は寒く乾燥しやすいから。
かぜは感染症ですから、寒熱・燥湿などで環境が変化すると、
感染するものも異なる
のが道理でないでしょうか。
もし、夏にも関わらず冬かぜ様の症状が貴方の身に起きた場合、
貴方の身の回りは夏ではなくて、冬のままの状態だということです。
そんな不可思議なこと、往々にしてあるでしょうか。

最近では夏なのに、冷房の多用からくる肌寒さを訴えるように
室内はあたかも冬の様相を呈している場合があります。
かといえば、室内で熱中症で陥るケースも多発している。
対照的な二つですが、どちらも夏らしくないのでしょうね。
夏に、夏らしい夏を送る。夏の冷房の利用はかくあるべき。
夏を涼しくするために、ましてや寒気を感じるためにあるわけではありません。

そして病状は現れない、病には陥らないに越したことはありませんが、
夏に暑い、暑いと訴えるのは自然な事ですが、
夏に寒い、寒いと訴えるのは、ひどく不自然でしょう。
ですから夏に葛根湯を服むのは、それだけ夏らしくない=不自然なことなのですよ。


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