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イタリアのことわざに
 ゆっくり行くものは、安全に遠くまで行ける というのがあります。

人生の教訓を謳ったことわざですが、漢方の中では、
ゆっくりとした生活を通じて、気が隅々まで巡る事を言っているのだと思います。
それはまた、気が伸び伸びとした体は、本来の力を発揮できるという意味でもあります。

心を広く持ち、体に巡る気を伸びやかにするには、 広さ に触れることが大切です。
龍が大海を悠然と泳ぐからこその龍であるように、
体を巡る気も伸び伸びとしているのが本来の姿です。

広いとは、一つには 開放的 であるということ。
閉鎖的な場所が必ずしも悪いという訳ではありませんが、、
大空を眺めたり、壮大な環境に身を置けば、心は自然と開放に向かいます。
そういうものを外界の自然に求めるのは、人間として当然の事だと思います。

ただし極端に広すぎると、それが返って恐怖に感じることもあります。
絶景ですよと言われ、突然にサバンナのど真ん中に連れて行かれても、
何がどこから襲ってくるのかと心中穏やかではありません。
あくまで大切なのは、自分にとって居心地良い開放感を得られるかどうかです。

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また広いとは、 ゆっくり としていることでもあります。
時間的に広いということは、時がゆっくりと流れることでもあります。
分刻みのハードスケジュールはこれとは相反するものかもしれませんが、
当人がそれをゆっくりとしていると感じるなら、その限りではありません。
「お休みはどうでした?」「お陰様でゆっくりできました。」
というやりとりはよくありますが。
一口にゆっくりと言っても、人それぞれだったりします。

開放的で、ゆっくりしている。
そういう場所や時間、過ごし方は、体巡るを気が伸び伸びとする上で欠かせません。
早寝早起きをする、時間にゆとりを持って行動する、
食事に時間をかける、何かを育ててみるなんていうのも、
この事に通じる事のではないでしょうか?

冒頭に述べた「ゆっくり行くものは、安全に遠くまで行ける」ですが、
多くの人にとって本当に、 安全に遠くまで行ってほしい のは、
自らの健康ではないでしょうか?
そのためには生き急がずに、ゆっくり生く事を信条としましょう。

家は狭かれ、心は広かれ ということわざがあります。
家や生活は質素でも良いが、心持ちは広くあれという事ですが、
なかなかこれをクリアする事は難しい。
時間的、空間的にも狭い生活を続けていると、
視野は狭くなり、思考が偏りがちで、気持ちも矮小なものになっていきます。
そうして体を巡る気も伸びやかさを失っていきます。

漢方でいう気は目には見えないものですから、
それぞれの捉え方があって良いと思いますが、
私は、体の様々な事象に 形を与える存在 として認識しています。
形は輪郭でもあり、また隔たりでもあり、それは輪となって大きさを与えます。
よく気の持ち様というじゃないですか?
心地良いものに触れれば、体を巡る気は伸びやかになり、
人に備わるさまざまなものが広がります。
それは単なる大きさだけでなく、成長や機能の伸張にも通じていきます。

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もっと簡単に言えば、楽しいと感じる人と、
楽しいと感じる場所で、楽しいと思える時間を過ごせば、
気は伸び伸びとして、気持ちは自然と軽やかに大きくなります。
どういう状況でそうなるのかは千差万別ですが、人は本来はそうなるものです。
(そうならないのは、それほどに気の伸びやかさが弱っているからです)
楽しめといわれて楽しむのではなくて、理由もなく心から楽しいと思えるかどうかです。

そして冒頭で触れたように、家は狭かれ、心は広かれです。
それは何の理由も刺激もなく、心を広く保てという事ではありません。
狭い家や生活の中にあっても、その中で
広さに触れることを疎かにしてはならない
そうすれば心は本来の姿を失わずに広くあります。

では、この広さは何か?です。単なる空間的な広さを言っているのではありません。
個人的には、現代に暮らす人々は私も含めて
この広さが圧倒的に足りないのではと思います。
これについても考えるところが色々ありますので、明日に投稿します。


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