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精を出すときに必要なのは「動かす」という事。
全身フル稼働というか、総動員というか、「動」の極みというか、
要するに、日々培っているものを最大限に活かすという事です。

当たり前の話かもしれませんが、体は動かす為にあります。
じっと置いておく為にあるのではありません。 
そして、精を出すということは、この体を動かすことでしか適わない事。
昔の生活に比べて、現代の生活は体を動かす事(運動量)がかなり低下しています。
言いかえれば、それだけ精を出さなくなったということです。
精を出さなくなるから、精をつける必要もなくなる。
そうして、少しだけ培った精で健康を回そうとする。
健康というのは、そのような省エネの先にはありません。

「一日中、忙しなく仕事してますよ」と、お思いかもしれません。
ですが実際は、ずっと椅子に腰掛けて、神経を張り詰めて、仕事していませんか。
そういうとき動かしているのは体というより、むしろ「頭」でしょう。
頭脳労働では、「精を出す」ということは適いません。腰掛けならば尚更です。

また精を出すことは、「動かす」ことを通じて、
からだが培っているものを最大限に発揮するということですから、
トレーニングやリハビリのごとく、健康の伸び代を大きくする
というところにも関わっています。
少々、宗教じみた考えでしょうが、精を出して前進していくから、精進なんでしょう。
健康もある意味、精進の道だと思いますよ。

培ったものを動かして、活かして、精を出す。
漢方では培ったものとは、気血を指しますから、
精を出すという事は、気血をしっかり巡らせる事
すなわち、理気(活気)する事と、活血する事につきます。
理気や活血を謳う漢方薬は、治療薬や滋養強壮薬など実にさまざまですが、
「精を出す」というニュアンスに最も近いものといったら、
大蒜(にんにく)などは、外せない一つです。

「精魂込めて・・・」という表現があります。
この精魂とは、
からだのみを表した言葉ではありませんし、
心のみを表したものでもありません。
即ち身体の「精」と、精神の「魂」という事で、
体と心の両方にまたがる事です。
体が精を発揮するのと同じく、心は魂というものを発揮します。
体が精を出せば、同様にして心は魂を出すというわけです。

この2つの働きは、自転車のペダルのように交互に働き、
互いを支えあい、高め合います。
体が充実すれば、心も充実します。
体が不調になれば、心も不調になります。

そして体が老いれば、心もやはり老います。
そのような中で、「精をつける」ということは
巡り回って「魂をつける、養う」という事につながるわけです。
精神修業の多くが、なぜ苦行と呼ばれるのか。
精神統一するときには、どうして静寂の中に身を置くのか、はたまた座禅するのか。
世のクリエイターの多くは考えを巡らせる為に、なぜ体を動かすのか。
いずれも、この精と魂の関係を辿れば、自ずと答えが見えてきそうな話です。

生理不順や更年期障害のように、
体の不調に伴い、心の不調が現れる事は決して少なくありません。
ただそういう時、体の不調はあくまで体の不調として、
心の不調はあくまで心の不調として、
それぞれを別々に取り扱うという事は、何とも、理に適っていません。
この場合の理は、すなわち人の「生理」の事を表します。
生理不順といいつつ、人の生理に適わないことをするのは、
やはり本末転倒ではないでしょうか?


冬の寒さと共にやってくる悪寒。
だがしかし、全ての寒さが悪寒を招くというわけではありません。

悪寒はいわば、からだの毒になる寒さ。
漢方でいうところの寒邪です。
この対極的には、からだの薬となりうる寒さ
さしずめ良寒というのがあるはずです。
漢方でいうところの寒気です。

冬の健康を考える上で、寒さとどう向き合うかというのは、
とても大切なことであり、また至極当然のことでもあります。
寒邪はからだの毒となりますから、これは退けなければなりません。
寒気はからだの薬となりますから、これは活かさなければなりません。
即ち、寒邪を制して、寒気を活かす

寒ければ、温めれば良い。また、温かいものを口にすれば良い。
確かにその通りです。
ただその一方で、人間である以上、体温を一定に保とうとする以上、
寒ければ自らを発熱して、体温維持に努めようとする生理もあるわけです。
寒中水泳然り。乾布摩擦然り。
あえて寒さに身を置く。そして冷感刺激で自らを発熱する。
その過程でからだのさまざまな機能を鼓舞させていく。

飴と鞭というわけではありませんが、
飴だけでは人は決して成長しませんし、鞭だけでも人は決して伸びません。
それは健康や治癒についても同じだと思います。

精がついているからこそ、精を出せる。
精もいまだつかずして、精を出すなどとは理に適うはずもありません。

精をつけること、そして精を出すということは
貯金の元金と利息に似た関係にあります。
左からつけた分を、そっくりそのまま右に出してしまうということではなくて。
元金を維持しつつ、そこから得られる利潤で生計を立てるのが、
経営の理想であるように、
精というのは、私たちが元気に生きていく上の
元手資産であると当時に、その元手から湧き出る利潤であります。
早い話が、日々精を出すというのは
体に蓄えた精を食いつぶすことではなくて、
蓄えた精から得られる利潤、これを活用していくことを指しています。

ですから疲労にはいろいろありますが、その本質は

精を出して疲れるか:利潤を超過する
精を失って疲れるか:元手資産を損耗する


の二つに分かれます。

例えば、普段あまり運動しない人が、
一念発起して運動を始めると最初の頃は往々にして疲れる。
それは、平素にない精の出し方をするからであって。
これまで毎日100の精を出して生活していたのが、
運動を始めて120の精を出す生活にシフトする。
すると当然のように不足する。
ただ、ここでさらに継続していくと
からだが毎日120の精を出すことに慣れてくる。
これは別に、体に蓄えた精を食い潰しているのではなくて、
適応して利潤率が上がるというか、そういう類の事。

ですから最近になって疲れやすいと悩んだり、
疲れに対する耐性とつけようなどと思ったら、
精を出しやすくするというのを、一つ心掛けてみましょう。

問題はどうやって・・・?という部分ですね。

精を出すというのは、発症=症状を発するという事にも、通じています。
例えば発熱や炎症、かゆみ、さらには血圧上昇、生理痛など。
ただ、そういう症状が平素に現れないのは、
その症状を打ち消すということにも精を出しているから。
からだは絶えず発熱していますが、その一方で発汗、体熱放射も行っています。

からだのあらゆる働きは、それが有益なものでも、害をなすものでも
総じて、精を出すということの現れといえます。
そしてそれは、治癒力を発揮するという場合でも同じです。
治療というのは、簡単に言えば、定まった治癒力を発揮する、
つまりからだの特定の働きに精を出す(出させる)ということです。

ですから、手出し無用で治るのと、いろいろな治療を通じて治すのとでは、
どういう所に、どのようにして精を出したかということに置き換えられます。

からだが嫌がるかたちで強いれば、果たして長続きしません
からだが喜ぶかたちで促すと、それは末永いものになります


そして、例えば日常生活で精を出すのにカツカツの場合、
些細なかぜであっても、これを治すために精を出す(精を割り振る)ことが難しく、
結果治りが遅くなったりするように、
どんな場合でも、いろいろなことに精を出せば、
それだけおのおのの効果は分散するというものです。

治癒や治療というのは、集中的にたくさん精を出すことです。
だからこそ、日常生活では精を出しながらも、余力をもって臨まないといけません。
ただどうしても、ままならないときは実際あるはず。

そういうときは・・・そう、精をつけることで、精を出す(精の出を良くする)
という方法を選択するわけです。


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