疲れの裏に乱れあり。
引き続き、若さについて。
先に述べましたように『年を重ねること』と『老いること』は、別物です。
たしかに、年齢と共に老いやすくなるのは自然界の常。
この事実はどうしようもない。
上手く付き合っていくしかないと思います。
アンチエイジングの「エイジング」も年齢的に老いやすくなる事を指すのでしょうから。
「・・・イング」ですから、そもそもは現在進行形でしょ。
ですが、老いやすいのと、実際の老い(老いた状態)では、全く意味が違います。
老いやすいのは、一つの「可能性」。
その対処はリスク・マネージメントとしての様相を呈します。
それに対して、老いは一つの「問題(を抱えた状態)」ですから、
その対処はトラブル・マネジメントとしての様相となります。
ある問題が起こる可能性を小さくすれば、その問題はおこりにくくなります。
ですが問題をどれだけ小さくしても、それがおこる可能性は変わりません。
これと同様のことが、元気や健康と若さの間にも当てはまります。
「若いから、健康を損なわない」のではなくて、「健康だから、若さが長続きする」。
話が少し逸れますが、若さにはある種の勢い・衝動のような部分があります。
若い時分には、良くも悪くも無理がきくというというのも、
この勢いにまかせたものだと私などは考えています。
そして時として、その勢いが健康を傷つけ、損なう。
良くも悪くも勢いがあるので、
それが暴走しないよう、コントロールすることが大切になってくる。
若さはたしかに良いものですが、
若さに任せるとは、ときとして健康を傷つける、そのようなリスクも含んでいます。
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更新日: 2015/06/12 |
疲れの裏に乱れあり。
引き続き、若さについて。 元気、精気に始まり、食欲や性欲から、健脚、内臓の働きなど、 年齢と共に衰えやすくなるものは、実にさまざまあります。 ですがそれら全てが老いによるものかといえば、決してそうではありません。 年をとる事と、老いる事には、たしかに重なる部分があります。 ですが同時にそうでない部分もあるわけです。 それは現代の多様化した人生が証明していることでしょう。 「アリとキリギリス」の話ではありませんが、 将来の老いに向けて、今の元気や若さをどういう形で活かしていくか。 つまりは、どういう年の取り方をするかで、 その後の老いが決まってくるということです。 そしてどういう年の取り方をしているかという点は、 皆さんの口以上に、皆さんの血液や血流が鮮明に語ってくれます。 実際にも、漢方を用いたアンチエイジング:老いの対処では 養血、活血など血に作用する処方がよく用いられます。 ちなみに、人間の一生を一日に置き換えるならば、 若い自分は日中:陽に当たり、晩年は夜:陰に当たります。 陽はからだを巡る気と関わりが深く、同様にして陰は血と関わりが深い。 ですから歳とともに私たちの健康は陽から陰へと、 健康のウエイトは気から血へと移り変わっていくわけです。 |
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更新日: 2015/06/10 |
疲れの裏に乱れあり。
梅雨入りしてから、めっきり涼しくなりましたね。 ただ巷を行き交う方々は、少し前の暑かったときの格好のまま。 うーん、真夏になったらどうするんだろ・・・。 ここしばらく、疲れについて続けてきましたが、 きょうは少し趣きを変え、「若さ」について。 若さが甦るといえば、いよいよ「若甦」の出番かもしれませんね。 「若さ」は、人間が生まれながらに有している「体質」の一つです。 私たちは日々、この若さを消費して生きており、 生まれてから死ぬまでの「成長」を加速させる一方で、 生まれてから死ぬまでの「衰退」に歯止めをかける存在です。 そして、ある際立った状態を指して「若い」と言うこともあれば、 ある継続的な状態を指して「若い」と言うこともあるわけです。 「若さ」というものを求めるときは、 高さだけに目を向けるのではなくて、裾の広さを考えることも大切。 高くなればなるほどに、それを維持することも難しくなるものですから。 しばしば若さを「元気」に含めて話す事があるように、 若さというのは元気と同様に、からだ自身が発揮するものです。 良くも悪くも、からだが発揮するものなんですよ、若さって。 例えば、かぜの症状は若い時分には、はっきりと現れやすいですが 年を重なると、ぼんやりとしてくる。 症状がはっきりと現れる(現れてしまう)のも、 ある意味では「若さ」が発揮されることの裏返しといえます。 簡単に言ってしまえば、若いから(元気だから)、症状が激しいわけです。 そして漢方では、しばしばこの若さを有するか否かで 処方薬が変わるという意味深いところがあります。 同じ疾患でも、同じ原因でも、体質が異なれば、処方薬は異なり、 同じくして若さが異なれば、また然りというわけです。 |
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更新日: 2015/06/08 |
疲れの裏に乱れあり。
6月に入り、京都市内はさっそくの雨天でした。 かといって蒸し気はあまり感じられず。 暑さは鳴りを潜めている様ですね。 前回に述べましたように、私たちのからだは、 「血」が衰えることで疲れを感じたり、疲れやすくなったり、 果てはその疲れが解消されにくくなったりします。 そして、この「血」が衰えるというのに ①血の巡りが衰える、②血液そのものが衰える という二通りの事が含まれます。 このことは、私たちが普段、何気なく服用している栄養ドリンクにも当てはまることで、 そこには、いち早く血の巡りに「活」を入れる、血の巡りを改善する成分や、 血液そのものを養う、血液そのものに働く(解毒)成分が、配合されています。 実際は値段が高い=よく効くというように選びがちですが、 必ずしもその通りではないんですよ。 果てしてリポ○タンDはどちらに当たるでしょうかね・・・? ちなみに、「栄養ドリンク」と呼びますけど、 これは「栄養を含むもの」というよりもむしろ、 「からだの働きを栄え養うもの」とした方が、的を得ているのではと思います。 また、見方を少し変えてみますと、 血の巡りは、血脈や心臓の働きに支えられ、 血液そのものは、これを蓄える肝臓の働きに支えられています。 ですから、 ◎血の巡りを改善するならば、心臓に働きかける ◎血液そのものを養うならば、肝臓に働きかける というのも、有効な方法の一つといえるでしょう。 実際にも、気つけ薬で重だるさを伴う疲れに対処する、 葛根湯を用いて、頭の血の巡りを回転を良くするといった方法は 身近なものとして知る人ぞ知るところ。 もっとも一部では、「気つけ薬はどうき・息切れの薬」、 「葛根湯はかぜ薬」という認識が、完全に先行していますがね。 東洋医学では、肝(肝臓)と心(心臓)は、 相生(互いを助け・生かし合う)関係にあるとされています。 即ち、肝に蓄えられた血液が、心によってからだに送られる。 送り出された血液は、からだの機能を支え、 血液を養うのに必要なものを肝に運び入れる。 それによって、肝は血液をさらに滋養し、その血液が再び心によって送り出される。 そんな正の螺旋様のつながりが、からだの各部、各臓器にあります。 そして、そんな繋がりをもたらすのも、他ならぬ血液ではないでしょうか。 |
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更新日: 2015/06/05 |
疲れの裏に乱れあり。
ここ数日の暑さがやっと落ち着きました。 そよ吹く風に、心地良さを感じます。 このまま推移して梅雨入りしてくれると、言うことないんですが。 さて、以前にも少し触れたことですが、 スタミナはからだを巡る血に宿っていますが、 その血を支えているのは、血液そのもののと、それを全身に巡らせる働きです。 良質な血液もその巡りが悪ければ、本来の働きが発揮されませんし、 その逆に、いくら巡りが良くても、血液の質が悪ければ、 からだを十分に滋養することはできません。 したがいまして、血の滋養、また血に宿るスタミナの滋養には ①血液の滋養 ②血の巡りの滋養 を両立させていく事が肝要なわけです。 そして多くの場合、「疲れる」とまず衰えてくるのは、血の巡り。 日常の疲れなどは、これに当てはまります。 巡りが悪くなれば現れ、巡りが良くなれば消える。 少し休めば消える。一晩たてば消える。 そんな「現れては消え、消えてはまた現れる」ような印象の疲れ。 そして、そういう疲れの頻度が増えてくる。 疲れやすくなっている。あるいは慢性化している。 そういう時分では血の巡りのみならず、血液そのものも衰えていきます。 俗にいう内臓疲れも、これに当てはまることでしょう。 このような疲れと血のつながりに、実際はさらに 季節的なもの、生活習慣的なもの、性別的なもの、年齢的なものが加わってきます。 例えば、暑い時季には発汗など新陳代謝を上げる形で、 からだの外側では血の巡りが良くなり、対照的に内側では血の巡りが衰えやすくなる。 また汗によってからだの外側では、血液そのものが消耗していきますが、 その消耗した血液は、そのままからだの内側を巡ることにもなります。 消耗した血液と、衰えた血の巡り。 ともすれば、暑い時季のからだの内側は、 そのような血によってのみ、支えられているわけです。 |
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更新日: 2015/05/29 |