• お問い合せ
  • サイトマップ
  • 個人情報保護
  • 交通アクセス
  • 漢方薬 漢方薬局 薬店のことなら きぐすり.com
  • ホームへ
  • 店舗紹介
  • 相談方法
  • よくあるご質問

症状の裏に消耗あり。引き続き鬱症について。
だいぶ流れがそれていますので、きょうは本来の「鬱症」に立ち戻った話を。

・気持ちが落ち込み元気が出ない
・何事にもやる気が起きなくなる
・悲観的になりやすい

実際の鬱症は、そのような心の症状を伴う場合が多いのが特徴。
ですが一方で、明瞭な経緯(ストレス、心傷など)を通じて
鬱症に陥る場合もあれば、そうでない場合もあります。
このような場合、前者は個人の中ではっきりした喪失感があるのに対して、
後者ではそれが不鮮明だったりする。
つまり、「何故そういう心の状態に陥ったのか」
この点を自分なりに(あるいは他人から指摘されて)理解できている場合(症状)と、
その原因や経緯がよく解らない場合の二つがあり、

この二つが合わさった中間のような症状もやはり考えられます。

実際の漢方相談では、トラブルとなる症状に目を向けると共に、
こういう点を重んじたりする。
すなわち、明確な経緯を伴う「鬱」というのは、凡そ「変化」によってもたらされる。
「変化」だから、基本的にはっきりしている。そして著しい。
だから訴える症状もはっきりしていて、こちらも理解しやすかったりする。

逆に経緯が不明瞭な「鬱」というのは、凡そ「消耗」によってもたらされる。
「消耗」だから、基本的にゆっくり「している。同時に鈍い。
だから訴える症状もぼんやりしている。

そして前者は「変化」がポイントになるから、
別の変化を効かせるというのも一つの対処法になります。
「ストレスを発散する」の「発散」という治療や養生は、
時にそういう目的をもって行われたりする。
逆に「消耗」がポイントとなる場合、
「発散する」のはさらに消耗を加速するだけなので、必ずしも有効ではありません。
そういう場合は文字通り「補う」という治療が主体になる。(つづく)

top_21



こちらの記事は、漢方柿ノ木薬局のfacebookでも掲載しています。
facebookへはこちらからリンク
また漢方柿ノ木薬局の詳しい情報はこちらでもリンク ご覧頂けます。

症状の裏に消耗あり。
前回に引き続き、鬱について。
前回はからだに備わる「壁」の存在についてお話しました。

人間のからだは皮膚や粘膜といった「壁」に覆われています。
この点では、一つの器として捉える事ができます。
そして、そんなからだに備わる複数の臓器も
また別の壁(内臓壁)に覆われている・・・。
さらに、その内臓壁を構成する一つ一つの細胞が
さらに別の壁(細胞壁)に覆われている・・・。

現代医学ではしばしば人の健康が細胞レベルで議論され、
細胞を賦活する(元気にする)ことで、
病魔を退け、健康を増進するという考えに及んだりします。
ミクロな医学とか呼んだりするらしいですね。

けれども、「細胞レベルの健康」は
やはり一部の健康、ときとして狭い範囲での健康(例えばからだの諸機能)を
支えるに止まるのではないでしょうか?
とどのつまり、「一理は万理を兼ねない」という話です。

少々解りにくい話かもしれませんので、一つ例え話を致しましょう。

この地球には、わたしたち人間をはじめとして、他にも大小様々な動植物がいます。
そういうもので「生態系」が作られ、
植物は草食動物に摂取され、草食動物は肉食動物や人間に摂取され、
その死骸や老廃物は土に還され、植物に摂取されるというループが営まれている。

そういう点では、土の中に存在する小さな小さな生物が
大きな生態系を支えると考えられます。
ですが現実には、土の中の生物は、土の中の環境に関与するに過ぎません。
もっとも簡単なところでは、土の中の生物がどれだけ頑張っても、
植物にとって必要な雨や水をもたらす事はありません。
それは生態系の外の理、大気の働きによるものですから。


このような考え方は、わたしたちのからだや健康、さらに病状なども通じる考えです。
細胞レベルではどうにもならないこともあり、
内蔵の諸機能ではどうにもならないこともある。
人の心や心情などは、ときとしてそういうものではないでしょうか?

ここで断っておきますが、私自身は
細胞レベルで健康というものを捉えたり考えたりすることを
悪いとか誤りだといっているわけではありません。
ですがミクロな視点だけではなくて、時にはマクロな視点からも
病状や健康を考えていく必要があると考えているわけです。

top_21



こちらの記事は、漢方柿ノ木薬局のfacebookでも掲載しています。
facebookへはこちらからリンク
また漢方柿ノ木薬局の詳しい情報はこちらでもリンク ご覧頂けます。

症状の裏に消耗あり。
引き続き、鬱について。

東洋医学では、からだにはこれを覆う「壁」が備わると考えられています。
免疫力・抵抗力のような解釈もありますが、
もっと広範な存在も意味しています。

壁は本来、①外界と遮蔽するための存在ですが、
同時に②壁に覆われたスペースを保つ役割を果たします。
ですが完全に密閉され、往来が無くなると、生体ではさまざまな欠乏が生じる。
それでは「どこかに、入口と出口を設ければ良い」と考えつくが、
大きな口は自制が利きにくいというデメリットを抱えるわけです。
そして物事は万事が一方通行ではありませんから、
出口が入口を兼ねるということもあり、その逆も然り。
そういうわけで生体の壁には
③無数の微小な口(穴)を通じて出入を調節する、素焼きに似た役割もあります。

生体膜や皮膚、そして筋肉、脂肪などは実際、そういう構造や働きをしています。
そして東洋医学における「壁」というのは有形・無形を問うことなく
外からの邪気を通さず、正気のみを通すという大変に都合の良いものです。
(逆に内からの邪気は通し、正気は通さず。)
無形とは目には見えないけどそこにあると感じるもので、
外からかかるストレスや重圧、胸に抱えたモヤモヤ・イライラ感などを指しています。

ではそのような「正を肯(うべな)い、邪を拒む」調節を
誰がやっているんだという話ですが…、
それは私たち一人一人が、
生まれてから死ぬまで、日夜知らず知らずのうちに
行っています。
当たり前のことで、ほとんど意識しないから、逆に疎かになってしまう。
とどのつまり、健康もそうではありませんか?
多くの先生方が言われるように「からだは正直」です。
正を肯(うべな)い、邪を拒むということもある意味、この正直ではないでしょうか?
(つづく)
こちらの記事は、漢方柿ノ木薬局のfacebookでも掲載しています。
facebookへはこちらからリンク
また漢方柿ノ木薬局の詳しい情報はこちらでもリンク ご覧頂けます。

症状の裏に消耗あり。
前回に引き続き、鬱について。
ただ、ここでお伝えしている内容は、鬱症を抱えている方に限った話ではありません。
ストレスを抱える事が多い現代の社会生活では、誰にでも当てはまる事だと思います。

さて、前回の末尾で「からだの風通しを良くしよう」という話をしましたが、
具体的にはどうすることを指すのでしょうか。
からだに備わる「窓のようなもの」を開けておくことでしょうか。
それとも、からだに脈々と流れる「通り道のようなもの」を整備しておくことでしょうか。

話が飛びますが、ストレスについて多くの場合「発散する」という表現を用います。
他の「消化する」とか、「分解する」などの表現を用いる事はありません。
発散には「内部にたまったものが外部へ散らばって出る」という意味があり、
その過程では「内部と外部の風通しを良くする」という節目があります。

風通しが良い状態を整えることによって、自ら散らばって出ていける。
躁・鬱に悩む方はこの部分がうまくいかない(働かない)と考えられます。
そしてうまくいかない道理には幾つか考えられますが、大きく分けると
①実証:ストレス(気の痞え)が大きすぎて、風通しを良くしても解消されない場合
②虚症:発散する地力が乏しくて、うまく外部に散らばって出ない場合
という対極的な2つが考えられます。

そしてここまでの話を踏まえると、前述の「風通しを良くする」とは
からだにプラスとなるものが入り易く(マイナスとなるものが侵入し難く)、
からだにマイナスとなるものが出易い(プラスとなるものが出難い)、
つまりは正を肯(うべな)い、邪を拒むということに通じていくわけです。(つづく)

こちらの記事は、漢方柿ノ木薬局のfacebookでも掲載しています。
facebookへはこちらからリンク
また漢方柿ノ木薬局の詳しい情報はこちらでもリンク ご覧頂けます。

症状の裏に消耗あり。
引き続いて、鬱について。

精神的な症状やトラブルを抱える方がしばしば訴える
「詰まる・痞える・息苦しい」といった症状には、
中空の状態、即ち目には見えないもの=気体(ガス)の詰まりが関与しており、
東洋医学では気体は気滞は通じる…、というところまでお話しました。

自然界では気体は即ち、大気のことを指します。
大気は無限に広がっていますから、基本的に詰まるということはありませんが、
そのなかには気圧や気温差が存在して、
高いところから低いところに向かって風が吹きます。
そのような中で生ずる吹き溜まり、さらには竜巻、台風などの発生にも
この風の存在が深く関与しています。

京都市内は週明けから、なかなかに温かい日々が続いていますが、
気候が暖かくなることによって、自然界では風が生じやすくなる。
同じくして、人の心とからだにも風が吹くがごとく、
様々な症状が現れては消え、消えては現れるを繰り返します。


大規模な風の流れを「気流」と呼ぶように、
風が吹くというのは気体の流動、すなわち気の流れに通じています。
ただ人間のからだは自然界と異なり、限られたスペースしかありません。
ですからある一定の筋道というかルールというか、
そういう存在の下で風の流れ(=気の流れ)が統制されている。

言いかえると、それだけ「荒れやすい」わけです。
特に自然界で大きな風が吹くとき、
からだの中でもともと吹く小さな風は歪められたり、
打ち消されたりといろいろ影響されてしまいます。

ここまでの話ですと、風が吹くという現象には、
ともすれば悪いイメージしかもてませんが、そうではありません。
表裏一体は自然界の常ですから。
春は木の芽時。自然界に陽気が満ちてくる時季です。
春に吹く風も陰から陽への変動、
つまりは陽気が満ちるということによってもたらされるものです。
見方を変えると、「御身に風を当てることで、体内に陽気を充たす」とも解釈できます。
ただしそのためには、からだの風通しを良くしておくことが大切になるでしょう。
(つづく)

こちらの記事は、漢方柿ノ木薬局のfacebookでも掲載しています。
facebookへはこちらからリンク
また漢方柿ノ木薬局の詳しい情報はこちらでもリンク ご覧頂けます。


Copyright© 漢方 柿ノ木薬局 All Rights Reserved.