精を出すときに必要なのは「動かす」という事。
全身フル稼働というか、総動員というか、「動」の極みというか、
要するに、日々培っているものを最大限に活かすという事です。
当たり前の話かもしれませんが、体は動かす為にあります。
じっと置いておく為にあるのではありません。
そして、精を出すということは、この体を動かすことでしか適わない事。
昔の生活に比べて、現代の生活は体を動かす事(運動量)がかなり低下しています。
言いかえれば、それだけ精を出さなくなったということです。
精を出さなくなるから、精をつける必要もなくなる。
そうして、少しだけ培った精で健康を回そうとする。
健康というのは、そのような省エネの先にはありません。
「一日中、忙しなく仕事してますよ」と、お思いかもしれません。
ですが実際は、ずっと椅子に腰掛けて、神経を張り詰めて、仕事していませんか。
そういうとき動かしているのは体というより、むしろ「頭」でしょう。
頭脳労働では、「精を出す」ということは適いません。腰掛けならば尚更です。
また精を出すことは、「動かす」ことを通じて、
からだが培っているものを最大限に発揮するということですから、
トレーニングやリハビリのごとく、健康の伸び代を大きくする
というところにも関わっています。
少々、宗教じみた考えでしょうが、精を出して前進していくから、精進なんでしょう。
健康もある意味、精進の道だと思いますよ。
培ったものを動かして、活かして、精を出す。
漢方では培ったものとは、気血を指しますから、
精を出すという事は、気血をしっかり巡らせる事、
すなわち、理気(活気)する事と、活血する事につきます。
理気や活血を謳う漢方薬は、治療薬や滋養強壮薬など実にさまざまですが、
「精を出す」というニュアンスに最も近いものといったら、
大蒜(にんにく)などは、外せない一つです。
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更新日: 2015/11/05 |
「精魂込めて・・・」という表現があります。
この精魂とは、 からだのみを表した言葉ではありませんし、 心のみを表したものでもありません。 即ち身体の「精」と、精神の「魂」という事で、 体と心の両方にまたがる事です。 体が精を発揮するのと同じく、心は魂というものを発揮します。 体が精を出せば、同様にして心は魂を出すというわけです。 この2つの働きは、自転車のペダルのように交互に働き、 互いを支えあい、高め合います。 体が充実すれば、心も充実します。 体が不調になれば、心も不調になります。 そして体が老いれば、心もやはり老います。 そのような中で、「精をつける」ということは 巡り回って「魂をつける、養う」という事につながるわけです。 精神修業の多くが、なぜ苦行と呼ばれるのか。 精神統一するときには、どうして静寂の中に身を置くのか、はたまた座禅するのか。 世のクリエイターの多くは考えを巡らせる為に、なぜ体を動かすのか。 いずれも、この精と魂の関係を辿れば、自ずと答えが見えてきそうな話です。 生理不順や更年期障害のように、 体の不調に伴い、心の不調が現れる事は決して少なくありません。 ただそういう時、体の不調はあくまで体の不調として、 心の不調はあくまで心の不調として、 それぞれを別々に取り扱うという事は、何とも、理に適っていません。 この場合の理は、すなわち人の「生理」の事を表します。 生理不順といいつつ、人の生理に適わないことをするのは、 やはり本末転倒ではないでしょうか? |
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更新日: 2015/11/04 |
冬の寒さと共にやってくる悪寒。
だがしかし、全ての寒さが悪寒を招くというわけではありません。 悪寒はいわば、からだの毒になる寒さ。 漢方でいうところの寒邪です。 この対極的には、からだの薬となりうる寒さ、 さしずめ良寒というのがあるはずです。 漢方でいうところの寒気です。 冬の健康を考える上で、寒さとどう向き合うかというのは、 とても大切なことであり、また至極当然のことでもあります。 寒邪はからだの毒となりますから、これは退けなければなりません。 寒気はからだの薬となりますから、これは活かさなければなりません。 即ち、寒邪を制して、寒気を活かす。 寒ければ、温めれば良い。また、温かいものを口にすれば良い。 確かにその通りです。 ただその一方で、人間である以上、体温を一定に保とうとする以上、 寒ければ自らを発熱して、体温維持に努めようとする生理もあるわけです。 寒中水泳然り。乾布摩擦然り。 あえて寒さに身を置く。そして冷感刺激で自らを発熱する。 その過程でからだのさまざまな機能を鼓舞させていく。 飴と鞭というわけではありませんが、 飴だけでは人は決して成長しませんし、鞭だけでも人は決して伸びません。 それは健康や治癒についても同じだと思います。 |
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更新日: 2015/10/29 |
精がついているからこそ、精を出せる。
精もいまだつかずして、精を出すなどとは理に適うはずもありません。 精をつけること、そして精を出すということは 貯金の元金と利息に似た関係にあります。 左からつけた分を、そっくりそのまま右に出してしまうということではなくて。 元金を維持しつつ、そこから得られる利潤で生計を立てるのが、 経営の理想であるように、 精というのは、私たちが元気に生きていく上の 元手資産であると当時に、その元手から湧き出る利潤であります。 早い話が、日々精を出すというのは 体に蓄えた精を食いつぶすことではなくて、 蓄えた精から得られる利潤、これを活用していくことを指しています。 ですから疲労にはいろいろありますが、その本質は 精を出して疲れるか:利潤を超過する 精を失って疲れるか:元手資産を損耗する の二つに分かれます。 例えば、普段あまり運動しない人が、 一念発起して運動を始めると最初の頃は往々にして疲れる。 それは、平素にない精の出し方をするからであって。 これまで毎日100の精を出して生活していたのが、 運動を始めて120の精を出す生活にシフトする。 すると当然のように不足する。 ただ、ここでさらに継続していくと からだが毎日120の精を出すことに慣れてくる。 これは別に、体に蓄えた精を食い潰しているのではなくて、 適応して利潤率が上がるというか、そういう類の事。 ですから最近になって疲れやすいと悩んだり、 疲れに対する耐性とつけようなどと思ったら、 精を出しやすくするというのを、一つ心掛けてみましょう。 問題はどうやって・・・?という部分ですね。 |
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更新日: 2015/10/27 |
精を出すというのは、発症=症状を発するという事にも、通じています。
例えば発熱や炎症、かゆみ、さらには血圧上昇、生理痛など。 ただ、そういう症状が平素に現れないのは、 その症状を打ち消すということにも精を出しているから。 からだは絶えず発熱していますが、その一方で発汗、体熱放射も行っています。 からだのあらゆる働きは、それが有益なものでも、害をなすものでも 総じて、精を出すということの現れといえます。 そしてそれは、治癒力を発揮するという場合でも同じです。 治療というのは、簡単に言えば、定まった治癒力を発揮する、 つまりからだの特定の働きに精を出す(出させる)ということです。 ですから、手出し無用で治るのと、いろいろな治療を通じて治すのとでは、 どういう所に、どのようにして精を出したかということに置き換えられます。 からだが嫌がるかたちで強いれば、果たして長続きしません からだが喜ぶかたちで促すと、それは末永いものになります そして、例えば日常生活で精を出すのにカツカツの場合、 些細なかぜであっても、これを治すために精を出す(精を割り振る)ことが難しく、 結果治りが遅くなったりするように、 どんな場合でも、いろいろなことに精を出せば、 それだけおのおのの効果は分散するというものです。 治癒や治療というのは、集中的にたくさん精を出すことです。 だからこそ、日常生活では精を出しながらも、余力をもって臨まないといけません。 ただどうしても、ままならないときは実際あるはず。 そういうときは・・・そう、精をつけることで、精を出す(精の出を良くする) という方法を選択するわけです。 |
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更新日: 2015/10/22 |