彼を知り、己を知れば、百戦殆うからず。
余分な体熱を発散するポイントは「体の表面」にあります。肌に熱がこもらない状態、あるいは逃がしやすい状態にもっていくことが、蒸し暑い季節を過ごす上では重要になります。そして皮膚は汗をかくことでも、余分な熱を外へ逃がしやすくしています。そもそも汗は体内の水分から作られますが、その対処として、ただ単に水分補給すれば良いというものでもありません。
最近では経口補水液のように、必要なミネラルをあらかじめ含んだ、体液により近い水分摂取を心がける方法があります。しかしながらそのようにして取り込んだ水分は、消化器官から吸収されて、複数の臓ふによって代謝、運搬されなければ「汗」とはなりません。むしろ過ぎた水分摂取は、臓ふやその代謝に余計な負担をかけて、夏バテしやすいからだともなります。
健康的に汗をかくという事を考えた場合、多くの人々は汗のかき方に考えが及びますが、大切なのはその汗を継続的にかき続けられるかどうか。この点においては、体にかかる負担、汗をつくる体の働きにかかる負担が適切であるかが重要になってきます。
「汗をかくことは健康的」という考えは確かに誤りではありません。しかし「やり方」を誤ればむしろ、健康を損う行いともなりますのでご注意を。
ツイート |
更新日: 2014/06/25 |
彼を知り、己を知れば、百戦殆うからず。
これからの蒸し暑い季節を快適に過ごすには、「ほどほどに熱しやすく、冷めやすい状態」へとカラダを養生することがポイントです。即ち、体表からうまく熱を発散できるようにする。締めつけのない薄着に衣替えするのもその一つ。室内であれば冷房をかけるのもその一つ。平素から汗をよくかく方は、水分補給を欠かさないようにすることもその一つ。小さな子供さんは、暑い日には水浴びをするのもその一つ。 熱の発散のキモは「体の表面」にありますから、肌に熱がこもらない状態、あるいは体表を熱を逃がしやすい状態にもっていくことが最大のポイントです。 東洋医学において、体表は五臓の「肺」と結びつきが強く、蒸し暑い季節を快適に過ごせるかどうか、体表にこもった熱をうまく発散できるかどうかは肺の養生にかかっています。けれど同時に注意いただきたいのは、実際は体表にこもった熱が「適度」であるほうが、うまく発散できるということ。過度な熱はむしろ、体表やその機能に負担をかけてしまいます。汗をかきすぎるとカラダが疲れるのも、少なからずこのことが影響しています。ですから実際には先に述べたような方法を用いて、体表の熱を適度な状態にまで持っていくことが必要となるわけです。 |
ツイート |
更新日: 2014/06/24 |
彼を知り、己を知れば、百戦殆うからず。
梅雨らしい雨も降らず、近場の河川も干上がっておりますが、これからの蒸し暑い時期を快適に乗り切るには、まずこの季節を知るところから始めましょう。季節の影響は万人に等しく降りかかりますが、その下で何を実践していけば良いのかは、年齢や性別、生活環境、生活習慣、食生活などさまざまな要因にによって千差万別です。簡単な話、自分自身に足りない部分を補ってやれば良いのです。 最近書店で「○○を治す100のコツ」とか「○○をアップする50の法則」と題した本をよく目にします。読んでみると「なるほど」と思うことが多いですが、掲載された50~100の方法を全て実践する方は現実的には皆無のはず。(筆者もそれを期待して書いておられないはず。)読者の方はその中から幾つか、自分に合うと思うものを取捨選択して実践していくはずです。つまりは自分に不足していそうな部分を補い、逆に十分に足る部分はそのまま伸ばしていく。これがすなわち養生の基本的な考え方です。 そして、何が自分に合っているかを判断する基準は、いかに「効果的」であるかという一点に絞られます。つまりは「質」。予防と治療も本来は、異質なもの。こむら返りの治療に用いる芍薬甘草湯がむくみなど副作用の点から、あまり予防に適さぬのもこの事によります。 さて、肝心の「蒸し暑い季節を知る」というお話ですが、文字通り、大気に湿気や暑気が充満する時期です。都市部でよりその傾向が強く、ヒートアイランドのように熱しやすく冷めにくい環境が形成されています。そのような下で生活する私たちのカラダも、熱しやすく冷めにくい状態に陥りやすい。このように申しますと、冷え性の方は過ごしやすい季節と思われるかもしれませんが、残念ながらそうではありません。大気の暑さは体表から浸透していき、そこにこもるものですが、冷え性の冷えとは体の深部にこもっています。ですからそのままでは交わって打ち消し合うこともありません。 そして、熱しやすく冷めにくい季節を快適に過ごしていくには、「ほどほどに熱しやすく、冷めやすい状態」へとカラダを養生することがポイントです。感の良い方は「熱しにくく、冷めやすい状態では?」と思われるでしょうが、要は「熱がこもりにい状態」を目指すということですから、「熱しにくい状態」というのは必然ではありません。 |
ツイート |
更新日: 2014/06/23 |
彼を知り、己を知れば、百戦殆うからず。
養生も同じです。ある時期、ある季節を快適に過ごそうと考えるならば、まずはその時分のことをよく知らなければなりません。「水を飲む」という動作を一つ取っても、年中同じように行うものではなく、本来はその時期や自身の体調に合わせて茶葉などを利用してその「質」にこだわるべきものです。東洋医学の盛んだった時代は、今のように豊食の時代ではなかったため、市井の人々は少ない量でも十分な効果が得られるよう、食事や養生といったものに「品質」を求めたのです。 そしてそれぞれの時期、季節に特徴や性質があるように、その下で暮らす私たちも同じく、特徴や性質を養っていく必要があります。暑い時期には熱が発散しやすいカラダを養い、寒い時期には芯部が冷えないように、熱を内に込めやすいカラダを養います。体質というほど大げさなものではありませんが、会えて質という言葉を用いるならば、私たちがおのおのの時期、季節にあったカラダの「性質」を獲得していく上で、食生活や生活習慣の「量」にその答えを求めてはいけません。むしろ先ほど述べたような「質」にこそ求めるべきでしょう。 |
ツイート |
更新日: 2014/06/17 |
最も身近な毒の一つは「水」。
水の用い方には注意を払わねばならない。 正しく用いれば、水は癒し清める。 誤って用いれば、水は傷つけ濁す。 水は濁流であってはならない。水は清流であれ。 水が水毒と称される一番の点は、その水が滞っているから。自然界であらゆるものがおおきなうねりの下で巡るように、私たちの生命活動もある種の循環-ある事象が巡り続ける事-といえます。ちなみに東洋医学はこのことを二千年前に発見してました。 心臓から送り出された清い血液が全身を巡り、濁った血液が肝臓で清められ、また心臓に戻される。水も同じです。どこかで清められ、どこかで濁されます。しかし不幸なことに、私たちは体内で水を清めることはできません。それができるのは大自然だけです。ですから私たちは、絶えず清い水を口から取り込み、濁った水を汗や尿で放出しなければなりません。 朱に交われば紅くなる。濁水を体内に溜め込んだ状態では、いくら清い水を取り入れても、すぐに濁水へと転じてしまいます。そして水を最も身近な毒というのは、それが毒となるか否かが、私たち一人一人の水分代謝に左右されるからです。 ちなみに毒の反対は薬。滞りのない代謝こそ心身にとって何よりの良薬という事を忘れてはいけません。 |
ツイート |
更新日: 2014/06/16 |