疲れの裏に乱れあり。
人間の老化で、最初に挙げられる症状は
デトックス:体から毒素を排出する能力の衰えです。
即ち、齢を重ねることにより
・汗が出にくくなる
・昼間の排尿が減り、夜間尿になる
・胃腸運動が失調して便通が悪くなる
というような傾向が強くなり、
からだにとって悪いものが溜まっていく。
言い方を変えれば、新陳(陳とは古いものの意)が悪くなる。
この事は漢方でも古くから考えられていることで、
水毒やオ血(血が滞る)といった病態も
体内に毒素が滞留しやすい一つの状態を意味しています。
では毒素が滞留する原因は、どのような点に起因するのでしょう?
一つには生活習慣が挙げられます。
今日の老化は、多分に生活習慣病としての側面を含んでいます。
例えば、空調に頼った快適な住環境に代わるかたちで、
汗をかく習慣が失われれば、それに頼った新陳代謝は自ずと低下します。
そのような状況の中、水を服むことによって涼を得れば、
さらに体内に水分が滞留しやすくなる。
すると、汗による排出が行われない分、相対的に排尿の割合が増える。
そしてそれはしばしば夜間尿に現れてくる。
このようなとき、夜間尿が増えたことは、水分の取り過ぎに因るものだとして、
中には水分摂取を控える方がいるかもしれません。
ですが「清をもって濁を制す」。
清の入を抑えることは、濁の出に影響する。
すなわち、水分摂取を過度に抑えることは、体内の水分代謝にも影響して、
湿や痰のような濁水が溜まりやすくなるというリスクも含んでいます。
水をほどほどに服んで、汗をほどほどにかく。
そのような基本的な営みによって、
からだ全体の水分代謝が実は支えられているのですよ。
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更新日: 2015/06/17 |
疲れの裏に乱れあり。
多くの方が「齢を取ったなぁ・・・」と感じる状態の一つに 「からだがついていかない」という訴えがあると思います。 俗にいう、やる気とか気概に、からだがついていかない、この状態。 これが続くことで、中には気概を無くしたり、やる気を失うといった、 心そのものが小さくなるケースも少なくありません。 東洋医学の考えに、心身一如:心と体はつながっており、 良い影響も悪い影響も互いに反し合う、という考えがあります。 上記のような、からだにがついていかないというトラブルでは からだの衰えに、しばしば心が引き込まれてしまう。 そうして、からだの不調が心の不調に伝わる。 また、からだが衰えずとも、定年退職でしばしば見られるように 積極的な生活から消極的な生活にシフトすることで、 意欲がすっかり衰えてしまうのも同じような話だと思います。 病は気からと言います。 多くの方はこの意味を、「気の乱れや衰退が病を起こすきっかけになる」 と一方通行に思いがちですが、果たして、逆の事も言えるのではないでしょうか。 すなわち、病を退けるには、気の充実が突破口になる。 西洋学的な治療でもその通りでしょう。 そしてそれは、老いに対しても同じ。 からだは齢を重なることで老いやすくなります。 ですが心は本来、老いとは無縁と私などは考えています。 |
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更新日: 2015/06/15 |
疲れの裏に乱れあり。
引き続き、若さについて。 先に述べましたように『年を重ねること』と『老いること』は、別物です。 たしかに、年齢と共に老いやすくなるのは自然界の常。 この事実はどうしようもない。 上手く付き合っていくしかないと思います。 アンチエイジングの「エイジング」も年齢的に老いやすくなる事を指すのでしょうから。 「・・・イング」ですから、そもそもは現在進行形でしょ。 ですが、老いやすいのと、実際の老い(老いた状態)では、全く意味が違います。 老いやすいのは、一つの「可能性」。 その対処はリスク・マネージメントとしての様相を呈します。 それに対して、老いは一つの「問題(を抱えた状態)」ですから、 その対処はトラブル・マネジメントとしての様相となります。 ある問題が起こる可能性を小さくすれば、その問題はおこりにくくなります。 ですが問題をどれだけ小さくしても、それがおこる可能性は変わりません。 これと同様のことが、元気や健康と若さの間にも当てはまります。 「若いから、健康を損なわない」のではなくて、「健康だから、若さが長続きする」。 話が少し逸れますが、若さにはある種の勢い・衝動のような部分があります。 若い時分には、良くも悪くも無理がきくというというのも、 この勢いにまかせたものだと私などは考えています。 そして時として、その勢いが健康を傷つけ、損なう。 良くも悪くも勢いがあるので、 それが暴走しないよう、コントロールすることが大切になってくる。 若さはたしかに良いものですが、 若さに任せるとは、ときとして健康を傷つける、そのようなリスクも含んでいます。 |
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更新日: 2015/06/12 |
疲れの裏に乱れあり。
引き続き、若さについて。 元気、精気に始まり、食欲や性欲から、健脚、内臓の働きなど、 年齢と共に衰えやすくなるものは、実にさまざまあります。 ですがそれら全てが老いによるものかといえば、決してそうではありません。 年をとる事と、老いる事には、たしかに重なる部分があります。 ですが同時にそうでない部分もあるわけです。 それは現代の多様化した人生が証明していることでしょう。 「アリとキリギリス」の話ではありませんが、 将来の老いに向けて、今の元気や若さをどういう形で活かしていくか。 つまりは、どういう年の取り方をするかで、 その後の老いが決まってくるということです。 そしてどういう年の取り方をしているかという点は、 皆さんの口以上に、皆さんの血液や血流が鮮明に語ってくれます。 実際にも、漢方を用いたアンチエイジング:老いの対処では 養血、活血など血に作用する処方がよく用いられます。 ちなみに、人間の一生を一日に置き換えるならば、 若い自分は日中:陽に当たり、晩年は夜:陰に当たります。 陽はからだを巡る気と関わりが深く、同様にして陰は血と関わりが深い。 ですから歳とともに私たちの健康は陽から陰へと、 健康のウエイトは気から血へと移り変わっていくわけです。 |
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更新日: 2015/06/10 |
疲れの裏に乱れあり。
梅雨入りしてから、めっきり涼しくなりましたね。 ただ巷を行き交う方々は、少し前の暑かったときの格好のまま。 うーん、真夏になったらどうするんだろ・・・。 ここしばらく、疲れについて続けてきましたが、 きょうは少し趣きを変え、「若さ」について。 若さが甦るといえば、いよいよ「若甦」の出番かもしれませんね。 「若さ」は、人間が生まれながらに有している「体質」の一つです。 私たちは日々、この若さを消費して生きており、 生まれてから死ぬまでの「成長」を加速させる一方で、 生まれてから死ぬまでの「衰退」に歯止めをかける存在です。 そして、ある際立った状態を指して「若い」と言うこともあれば、 ある継続的な状態を指して「若い」と言うこともあるわけです。 「若さ」というものを求めるときは、 高さだけに目を向けるのではなくて、裾の広さを考えることも大切。 高くなればなるほどに、それを維持することも難しくなるものですから。 しばしば若さを「元気」に含めて話す事があるように、 若さというのは元気と同様に、からだ自身が発揮するものです。 良くも悪くも、からだが発揮するものなんですよ、若さって。 例えば、かぜの症状は若い時分には、はっきりと現れやすいですが 年を重なると、ぼんやりとしてくる。 症状がはっきりと現れる(現れてしまう)のも、 ある意味では「若さ」が発揮されることの裏返しといえます。 簡単に言ってしまえば、若いから(元気だから)、症状が激しいわけです。 そして漢方では、しばしばこの若さを有するか否かで 処方薬が変わるという意味深いところがあります。 同じ疾患でも、同じ原因でも、体質が異なれば、処方薬は異なり、 同じくして若さが異なれば、また然りというわけです。 |
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更新日: 2015/06/08 |