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症状の裏に消耗あり。 

皮膚炎やアトピーなどを通じ、痒みを訴える方の口からよくお聞きするのが
夜半になると痒みがね…。」という一言。
中には無意識に寝床で掻きむしってしまい、
患部がなかなか回復しないケースも少なくありません。
そして、そういう方の口をついて出るのが「皮膚が敏感なのかな?」という言。

夜に痒みが強くなるのは、皮膚の夜泣き

神経が高ぶると皮膚も高ぶります。
ですから「皮膚が敏感」というよりは「皮膚を通る神経が敏感」ということ。
皮膚炎というのは表から見ると皮膚疾患ですが、裏から見ると神経症です。
神経の高ぶりが起爆剤となって、皮膚の上で炎症という爆発が生じるわけです。

アトピー性皮膚炎に悩まされるのは多くの場合、小さなこどもの時分から。
これは私の個人的な意見ですが、
「皮膚が未熟」なこどもの「皮膚が弱い」のは、ある意味当然の話です。
成熟させていくことは必要ですが、それは成長に伴う部分が大きいでしょう。
現実的にも数ヶ月で成人の皮膚を得ることなどでき様もなく、
年相応の皮膚に落ち着くわけです。

対して神経の高ぶりというのは、近年の子どもについて回る特徴的な話です。
もちろん、昔から夜泣きやかんむしのような症状はありましたから、
「神経が高ぶりやすい」という性分は持ち合わせている。
けれどもあくまで「病」というより「性分」、
病的な捉え方はせず、「子どもという性分」で片付けていました。

ですが今日における神経の高ぶりは、
自制できない、キレやすいなど一線を画すものとなっています。
そういう度を超えた心の衝動が神経を通じて、皮膚に現れるわけです。
およそ心と体は神経で繋がっていますが、
東洋医学では神経:神(しん)は火の性質を有す心(しん)に収蔵されている
と考えられています。
すなわち、神経の高ぶりが心を通じて、火:痒みや炎症に転化されるわけですよ。

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症状の裏に消耗あり。

季節の変わり目、特にこの春先になると

ふらふら・・・、いらいら・・・

ふつふつ・・・、もんもん・・・

などと、形容できる症状を抱えていませんか?

それはもしかすると、
からだの舵取り:自律神経が利かない症候かもしれません。

しばしば店頭では、「からだ」と「自律神経」の関係を、
「船」と「舵」に置きかえて話します。
その方が一般の方でもイメージしやすく、
さくさくと納得していただけることが結構あります。

春先というのは例えるなら、
船に備わった舵は問題ないが、
船の回りの海原は時化(しけ)ったような状態。

そんな海を行けば、どんな船でも少なからず舵を取られ、
自由が利きにくくなるというものです。
ただ、ただですよ、
舵が大きい船と小さい船では、
舵が小さい船の方が、確実に早く利きが悪くなる。
そして、舵の大きさが同じあっても、
舵取りがヘタな船の方が、利かなくのが早い。
からだの舵取りを果たす自律神経にも同じ事がいえます。 
その上で、春は時化るから、舵の利きを良くしていきましょうというお話です。

舵を大きくしたり、舵の扱いがうまくなるというのは、
これは一朝一夕で通用するものではありません。
ある種の訓練というか、実際は養生が必要になります。
ですがそういう事とは別に、舵の利きを良くするというのは
舵にかかる負担を少なくするためにも必要になってきます。

そして冒頭で挙げたような、
ふらふら、いらいら、ふつふつ、もんもんとした症状を抱える方はいずれも、
舵の利きが悪くなっている、或いは利かなくなっている方。
そういう方に対して、舵を本来の状態に戻しながら、利きを良くしていく、
そんな「舵取りの薬」と呼べるものを当薬局では取り扱っています。
気になった方や興味を持たれた方など、ぜひお気軽に問い合わせ下さい。

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症状の裏に消耗あり。
本日は、前回までの「鬱」にしばしば随伴する「のぼせ」について。

「のぼせ」というくらいですから、
そこには何らかの熱感=気の充満や滞りが存在します。
どこからか沸き出たエネルギーが、
暴走してうまく制御できず、振り回されているような状態。

イメージとしては
道幅が狭いにも関わらず、猛スピードで走って事故を招いた
といった所でしょうか。

この「事故」が即ち「のぼせ」。さらにはイライラ、興奮、動悸、めまいなどの症状。
そして実際の事故を引き起こす経緯には、
「スピードの出し過ぎ」に加えて「道路幅の狭さ」や「運転技術の未熟さ」など
様々な要因が関与するように、のぼせという「事故」にも

>◎気実:気の過剰な充実
◎気道の通じの悪さ、さらにそれに伴い生じる障害
◎気を巡らせる(制御する)働きの未熟さ

など様々な要因が関与します。


現実の事故では、原因の大半はスピードの出し過ぎ、もしくは不注意。
のぼせもその点は同じく、偶発的、突発的な症状、
そして誰でも緊張した時におこるのぼせは

①瞬間的に気が沸き上がる
②膨れた気に対して本来の制御する働きが追いつかなくなる
③結果的に気が暴走する

という一連の流れになると考えられます。

ではそもそも、瞬間的に湧き上がる気はどこからやってくるのか。

これにはやはり、心の大きさが関係しています。
おさらいになりますが
心患いは心の大きさというのを小さくしてしまいます。
心が小さくなると、そこに収めたれていた気(心気)は外に出るしかありません。
けれど、こうして生じた気は、体内にありながら自由に動き回れる、
いわば「フリーな気」。
ですが、からだの中にある気は、本来どこかに収蔵されているもの。
フリーな気は「有害な気」で、これがいろいろ悪さをする。
そして、有害なエネルギーとして熱症状を招くというわけです。(つづく)

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症状の裏に消耗あり。
本日は、前回までの「鬱」にしばしば随伴する「動悸」という症状について。

心という、目には見えないものに及ぶ「鬱」と
心臓という目に見える器官に及ぶ「動悸」には
やはり密接な関係があると考えられます。

これまで心について、長期にわたり、いささか取り留めもなく論じてきましたが、
その中でもとりわけ
「心が萎(しぼ)む」というのは、「動悸」と結びつけて考えやすいと思います。

すなわち、いろいろなことが影響して、心(こころ)が小さくなると、
身体の心臓の方も働きが鈍くなりやすい。
実際の大きさ(体積)は変わりませんが働きが鈍くなる。
これは見かけ上では心臓が小さくなっている(=狭心)ことと同意です。
然るに、バランスを保とうとして拍動が強くなったり、速くなったりする。

また、そのような心が萎む経緯には

①心に正気(新鮮な気)が注がれない
②心に蓄えられた正気が抜けやすい

という二通りがあるという事も述べましたが、
いずれの場合でも、結果として心に邪気や濁気が満ちやすくなります。
すると先ほどと同様に、身体の心臓にも邪気や濁気が溜まり易くなる。
心臓は循環系の要(かなめ)ですから、
この場合は循環系に邪気や濁気が停滞して、その働きが衰えることにつながります。
つまり、循環が弱まることで血流が弱まり、
血色が悪くなったり、貧血様症状に陥ったり、
むくみが生じることでめまいや乏尿になりやすくなる。

また正気の取り入れ、さらに邪気の排出には呼吸が深く関わっていますから、
この点では動悸と息切れも、「正気の欠乏」でリンクすると考えられます。
動悸時に用いる薬を「気つけ薬」と呼ぶのも、こういう点からなんですよ。

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症状の裏に消耗あり。

前回で「心(こころ)は一種の器のようなもの」と話しました。
その器は、古いものや害をなすもの:「邪気」が停滞することなく、
新鮮なもの:「正気」で満たされているのが理想です。
邪気を追い出すのにも正気が不可欠となりますからね。

また一方、「器」ですから当然、そこには大きさ(器量)がありますが、
この心の大きさも正気や邪気の影響を受ける傾向があります。
稚拙な言い方かもしれませんが、
正気によって「心が育む」、邪気によって「心が荒む」ということです。

やさしさに触れて育つと、やさしい人間に育つ。
逆に、怒られて育つと、怒りやすい人間が育つ。
開放的な環境に身を委ねると、実際にも大らかな、開放的な気持ちになる。
逆に、狭苦しい環境に身を置くと、了見が狭いような気持ちになる。

すなわち新鮮なもの:「正気」は心を大きくしますが
古いものや害をなすもの:「邪気」は心を小さくしてしまいます。
そして邪気が盛んになる背景には、それを追い出す正気の欠乏が関与しています。

風船をイメージするとわかりやすいかもしれませんね。
新鮮なもの:「正気」によって風船が膨む一方で、
正気が送られず、古いものや害をなずもの:「邪気」が
盛んになることで風船は萎(しぼ)む。

そして萎んでしまう直接の原因は「気が抜ける」からですが、それには
①新鮮なエアーが風船に注がれない(風船を膨らませる力が弱まっている)
②風船から気が抜けやすい(風船が萎む力が強まっている)
の二つが考えられます。

前者は緩やかな動きですが、後者は急激な場合もあれば緩やかな場合もあります。
実際にも風船は放置しておくと、エアーが抜けますでしょ。
また手などで外から押してやると、エアーはさらに抜けやすくなります。

心に戻して話を続けますと、
①心に正気が注がれない:②心から正気が抜けやすい
の二つの経緯によって心は萎みやすくなります

心に正気が注がれにくい、あるいは心から正気が抜けやすいことには
正気の補充に通ずる
生活の上での新鮮味や充実感、季節の変化を楽しむゆとり
のような開放的ともいえる、プラスの要因が乏しく、
その一方で正気の損耗に繋がる
気分転換がうまくできない、休みでも部屋に閉じこもる生活をしている、
長期に渡りストレス(圧力)がかかかる

のような閉鎖的ともいえる、マイナス要因が盛んになるという、
日々の過ごし方がやはり影響していると思うのです。(つづく)

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