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症状の裏に消耗あり。
永らく続けています「鬱」の話。

以前に「からだに抱える邪は正を伴わないと動かない」
というお話をしましたが、これはずばり

新陳代謝を通じて邪を掃うこと

を意味するのではないでしょうか。

東洋医学において新陳代謝は正気の賜物と考えられています。
ちなみに新陳の
・「新」は新しいもの
・「陳」は陳旧、すなわち古いもの(濁ったもの)
をそれぞれ意味しています。
(古いものは正確に言えば「以前は新しかったもの」ですが)

そして新陳代謝には
①新しいものと古いものを入れ替える
②古いものと共にからだに害をなすものを掃う
という二つの働きがあります。
そして、いずれの場合においてもいえるのは、

「先立つもの」とでもいうべき新しいものが存在してこそ
古いもの、害をなすものが掃われるということです。


そのようにして「ところてん突き」のように
新しいものが古いものを掃い出し、絶えず入れ替わる。
この新陳代謝ですが、皮膚や肥満など
からだのトラブルで言及される事はよくありますが
鬱症や神経症など心のトラブルで耳にすることはまずありません。

ですが、何度も申しますように、
からだに通用する事は心にも通用するわけで。
ですから「心の新陳代謝」というのも存在するわけです。

これは個人的な見解ですが、「心」とは一種の器です。
(器量という言い回しもあるぐらいですから)
その器の中身が外部と往来せず、同じものが蓄えられ続けると
それは古くなり、やがては腐ってしまう。
だからこそ外部から新鮮なものを取り入れて、古いものを掃い、
「心の鮮度」を保つ必要があるわけです。

そして「新鮮なものを取り入れて、古いものを追い出す」
というこの営みを体現しているのが、
清と濁を交換する、
つまり吸気と呼気を入れ替える呼吸
という動作になるわけです。
(つづく)

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症状の裏に消耗あり。

前回、「抵抗力」と「発散力」という話をしましたが、ここで少し補足を。
このようなからだに備わる働きは、いわゆる「自然治癒力」の一端に過ぎません。
例えるなら、一つの株から枝分かれした枝葉のようなもの
すなわち「自然治癒力」は一つですが、実際の働きには実に多様ということです。

このことは、「抵抗力」と「発散力」も独立したものではなくて、
深い部分(文字通り根っこの部分)では、繋がっているということ。
もっと単的にいえば「抵抗力」を養うというのは、
直接的ではないにしろ「発散力」を養うことに繋がるということです。

実際の経験に照らし合わせても、
ストレスコントロールがうまくいっている時は、
ストレスに対する耐性も強くなります。その逆も然り。
胸に何か抱えている時は、些細な事がストレスの原因になってしまう。

加えて言えば、
心に作用する力というのは、からだに対しても同じように働きます。
悶々とした雑念や雑欲を払うために、からだを動かして発散、昇華する。
誰でも一度は経験された事だと思います。
こういう点からも、からだを養うという事は、こころを養うことに繋がっていくわけです。

こころを動かすには時間が必要ですが、からだを動かすのに時間は要りません。
ですがある時点で決断しないと動き始められないという点もある。
心とからだはそのようにして、どこまでいっても夫婦のように付いて回ります。(つづく)

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症状の裏に消耗あり。引き続き「鬱症」について。

前回にお話したように、
鬱症は原因や経緯がはっきりしている場合と、そうでない場合があります。
そういう中では、ストレスや圧力を受けているのか、そうでないのか
という点も一つの分かれ道になります。

すなわち、俗にいわれる「うつうつ感」が、
外からもたれされるものか(そういう環境に身を置くことで生じるものか)
それとも、からだの中で長い時間をかけて練り上げられるものか
という点に深く関わってくるわけです。
東洋医学の世界では、
外からもたらされるものは「外邪(によるもの)」、
内で生じるものは「内邪(によるもの)」としばしば呼ばれたりしますね。

そして、からだの内側へ邪気が侵入するのを防ぐ:「抵抗力」は、
この外邪に対しては有力ですが、内邪に対しては甚だ無力です。
本来はそうならない為に、
内に生じた邪気を体外へ排出する:「発散力」が備わるはずですが
からだの内で「うつうつ感」を練り上げる方は、
この働きが弱まった状態にあると考えられます。

「・・・では、その働きを漢方薬で補ってやれば良いんじゃないか」
と考え及ぶかもしれませんが、現実はうまく事が運びません。
邪は凡そ、「正を伴わないと動かない」という
性質(たち)の悪い部分を持ち合わせます。
具体的な例では、かぜを引いた時に
からだから邪を追い出そうとして汗をかき続けると、
どんどん消耗していく。それと同じような事でしょうか。(つづく)

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症状の裏に消耗あり。引き続き鬱症について。
だいぶ流れがそれていますので、きょうは本来の「鬱症」に立ち戻った話を。

・気持ちが落ち込み元気が出ない
・何事にもやる気が起きなくなる
・悲観的になりやすい

実際の鬱症は、そのような心の症状を伴う場合が多いのが特徴。
ですが一方で、明瞭な経緯(ストレス、心傷など)を通じて
鬱症に陥る場合もあれば、そうでない場合もあります。
このような場合、前者は個人の中ではっきりした喪失感があるのに対して、
後者ではそれが不鮮明だったりする。
つまり、「何故そういう心の状態に陥ったのか」
この点を自分なりに(あるいは他人から指摘されて)理解できている場合(症状)と、
その原因や経緯がよく解らない場合の二つがあり、

この二つが合わさった中間のような症状もやはり考えられます。

実際の漢方相談では、トラブルとなる症状に目を向けると共に、
こういう点を重んじたりする。
すなわち、明確な経緯を伴う「鬱」というのは、凡そ「変化」によってもたらされる。
「変化」だから、基本的にはっきりしている。そして著しい。
だから訴える症状もはっきりしていて、こちらも理解しやすかったりする。

逆に経緯が不明瞭な「鬱」というのは、凡そ「消耗」によってもたらされる。
「消耗」だから、基本的にゆっくり「している。同時に鈍い。
だから訴える症状もぼんやりしている。

そして前者は「変化」がポイントになるから、
別の変化を効かせるというのも一つの対処法になります。
「ストレスを発散する」の「発散」という治療や養生は、
時にそういう目的をもって行われたりする。
逆に「消耗」がポイントとなる場合、
「発散する」のはさらに消耗を加速するだけなので、必ずしも有効ではありません。
そういう場合は文字通り「補う」という治療が主体になる。(つづく)

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症状の裏に消耗あり。
前回に引き続き、鬱について。
前回はからだに備わる「壁」の存在についてお話しました。

人間のからだは皮膚や粘膜といった「壁」に覆われています。
この点では、一つの器として捉える事ができます。
そして、そんなからだに備わる複数の臓器も
また別の壁(内臓壁)に覆われている・・・。
さらに、その内臓壁を構成する一つ一つの細胞が
さらに別の壁(細胞壁)に覆われている・・・。

現代医学ではしばしば人の健康が細胞レベルで議論され、
細胞を賦活する(元気にする)ことで、
病魔を退け、健康を増進するという考えに及んだりします。
ミクロな医学とか呼んだりするらしいですね。

けれども、「細胞レベルの健康」は
やはり一部の健康、ときとして狭い範囲での健康(例えばからだの諸機能)を
支えるに止まるのではないでしょうか?
とどのつまり、「一理は万理を兼ねない」という話です。

少々解りにくい話かもしれませんので、一つ例え話を致しましょう。

この地球には、わたしたち人間をはじめとして、他にも大小様々な動植物がいます。
そういうもので「生態系」が作られ、
植物は草食動物に摂取され、草食動物は肉食動物や人間に摂取され、
その死骸や老廃物は土に還され、植物に摂取されるというループが営まれている。

そういう点では、土の中に存在する小さな小さな生物が
大きな生態系を支えると考えられます。
ですが現実には、土の中の生物は、土の中の環境に関与するに過ぎません。
もっとも簡単なところでは、土の中の生物がどれだけ頑張っても、
植物にとって必要な雨や水をもたらす事はありません。
それは生態系の外の理、大気の働きによるものですから。


このような考え方は、わたしたちのからだや健康、さらに病状なども通じる考えです。
細胞レベルではどうにもならないこともあり、
内蔵の諸機能ではどうにもならないこともある。
人の心や心情などは、ときとしてそういうものではないでしょうか?

ここで断っておきますが、私自身は
細胞レベルで健康というものを捉えたり考えたりすることを
悪いとか誤りだといっているわけではありません。
ですがミクロな視点だけではなくて、時にはマクロな視点からも
病状や健康を考えていく必要があると考えているわけです。

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