春日部第一薬局 埼玉県春日部市
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思い出すのも辛いのですが、今まで妊娠する度に3回も続けて流産してしまいました。

特別に体がとても調子が悪いというわけではなく、あえていうならば手足が冷えやすく腰痛があるくらいでした。

不妊治療といわれるものはいろいろやってみたのですが、なかなか結果がでず、流産の予防というのに漢方がいいと聞いたので、専門店を訪ねてみることにしました。

それが第一薬局さんとの出会いでした。

いろいろとお話しをして、先生に私に合った煎じ薬を調合してもらい、1ヶ月位たった頃、夜ぐっすり眠れるようになり、なんとなく疲れも違ってきたのが分かりました。

服用して6ヶ月、気がつくとなんと妊娠6週目に入っていました!喜びと同時にまた流産するのではないかと心配していましたが、先生に言われた通りに妊娠中におすすめのものを服用していました。

そして、無事3241グラムの女の子を出産しました!

先生が約束してくれたとおり、肌の白いきれいで元気な我が子の誕生に、家族みんなで感激しています。

本当に、ありがとうございました!


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食後60分後血糖値:318mg/dl、2時間後血糖値:279mg/dl・・・。

このデータが何を意味するかお分かりでしょうか?

母が糖尿病の病魔に侵されていたことを知る、唯一のきっかけでした。

糖尿病の合併症、入院後に待ち受けるものが何かを想像し、愕然とするのにさほどの時間はかかりませんでした。1997年のお盆の頃の出来事です。

偶然、分子栄養学に興味を持って、常日頃栄養学や漢方に興味を抱いては情報を集めていたつもりでしたが、いざ自分の家族が生活習慣病の当事者になったとき、正直目の前が真っ暗になり、頭の中が混乱したことを今でもはっきりと覚えています。春日部第一薬局さんと以前からお付き合いをさせて頂いていたことも、今思えば偶然のめぐり合わせだったのでしょう。

ただ、この時に冷静さを取り戻して、矢野間先生を思い出すことができたのは必然的なものでした。また、漢方治療にはそれなりにお金がかかることも知っていました。しかし、糖尿病の合併症、入院費用、それに伴う諸費用、そしてなにより闘病の苦痛(場合によっては両手足の指を切断する場合もある)、家族が受ける苦痛を鑑みれば、安いものだという結論を導くことができたのは、日頃の勉強の成果?だったのでしょうか。



思い立って、母の糖尿病のデータを片手に直ちに春日部第一薬局に駆け込みました。当時は、2種類の製品を用い、1日に摂取する量を矢野間先生と相談し、故郷の母に郵送してきちんと摂取することの重要性、そして必ず良くなることを伝えました。

そして約半年後、食後2時間後血糖値99mg/dlの値になり、矢野間先生から「正常値だね」と聞いた時の安堵感もまた、忘れられないものとなりました。また、その間もインシュリンをはじめ、一切の医薬品(病院から処方されるもの)を投与することもなくここまで漕ぎ着けることができたのも、正確な情報(矢野間先生)と、本人の努力(きちんと摂取した母自身)、命の値段の投資(身銭を切った自分)があったからだと思っています。

2009年現在、母は生活習慣病とは無縁の生活を送っています。


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5歳の頃、はじめて息子の首に、蚊に刺されたような赤い湿疹が一つできました。

皮膚科で、ステロイド入りの軟膏を処方してもらい、一日二回ぬりました。

すぐに良くなったのですが、それから毎年、紫外線の強くなる時期から秋までの期間、軟膏を手放すことができなくなってしまいました。

成長するにつれ、軟膏をぬることもほとんどなくなっていきましたが、高校生になると今までできたことのない右のまぶたに赤くカサカサした湿疹ができ、眼軟膏をぬっても完全には良くならず、同時に頭の中や体にも赤いブツブツがでてきたのです。

ステロイドを広範囲にぬることへの不安から、思い悩んでいたところ、インターネットで春日部第一薬局さんのことを知り、相談しました。

早速送っていただいたものを息子に飲ませてみると、10日間ほどで体中の湿疹がほとんど消えていました。

ステロイド入りの軟膏が要らなくなった生活は、精神的にも救われ、夢のようです。

本当に、ありがとうございました。


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30代の中頃、以前はMサイズを着用していたのに、いつのまにかLサイズ以上しか合わなくなってしまい、68㎏の体重が気になってダイエットを考えました。
知人から、マイクロダイエットで10キロ減量した人がいると聞き、早速始めました。1~2ヶ月で6キロ減量し、間もなくマイクロダイエットをやめました。

やがて時がたち、子供達も手が離れ、主人とも仕事の関係で別々に暮らすことになり、いつの間にか私の食生活は不規則の手本の様になっていました。

ほとんど毎日外食。夜は行きつけの店で好物を好きなだけ食べ、夜更かしも多く酷い生活でした。酒量も増し、帰宅途中ラーメンを食べて帰るということも度々。

人と接する仕事で、頭の中は仕事のことでいっぱいという日も多く、疲労感から抜けられない日も連続してありました。開放されたくて、逃げるように数々の趣味に手を出しては長続きせず、地に足のついていない生活をしていたと思います。

「私は太っているんだ。デブなんだ。」とはっきり自覚したのは45歳を過ぎた頃でした。前年に着ていたLサイズのブラウスがLLか3Lでないとすっきり着られず、ジーンズも入らずウエストゴムのパンツに。靴まで24センチが25センチに。挙句に人からの悲しい言葉。親しいとはいえ、私に対する評価はまるで、怪獣か動物扱いの酷い言葉。。。表面上は笑って言い返していましたが、心の中に悔し涙は溢れていました。

そんな中、足腰と全身の激痛で熟睡中でも飛び起きるようになり、だんだんその頻度が短くなり怖くて病院にも行けませんでした。そして、いよいよ痛みから自分でズボンもはけず、起きることもできず、このまま一人で死んでしまうかもしれない、そんな日が3日続き、やっとの思いで家族に連絡をとり来てもらって病院へ行きました。結果、五十肩だったのですが、医師からは運動をすすめられました。そして、体質も食物アレルギーにもなってしまい、呼吸にくるアレルギーなので食生活も深刻になりました。

50歳になっていました。そして私は、以前とは違う決心をし、最後のダイエットと心に誓い、春日部第一薬局に向かいました。思い出したのです。以前、丁寧で細やかで的確なアドバイスを頂いたことを。かれこれ10年以上たって、再度マイクロダイエット。そして私の最後のダイエットです!7月、生ビールのおいしい時期にスタートしました。

私は過去に、様々なダイエットを試みました。
通販の金魚運動・リンゴやバナナなどの食物ダイエット・キトサンダイエット・サウナ通い・スポーツクラブ・エステ・通販のジョウバ・絶食等など。。どれもこれも時間や費用に無理があったりで、続きませんでした。そんな私が、最後のダイエットにマイクロを選んだのは、安全性と美味しさと完璧な栄養バランスと費用と時間に無理がないこと、そして指導をしてもらえる安心感からです。

毎日の食事日記をつけ、それをもとに薬局のスタッフからのアドバイス。週3~4回は薬局にある運動マシーンにのって筋肉を鍛え、移動はすべて歩くことにし、テレビ体操・ストレッチと日常の中でいつでも出来て。ほぼ毎日続けられる運動をしました。

外食も月1~2回に減らし、自炊でバランスのよい献立をアドバイスを頂きながら作りました。そうしたことでマイクロを無理なく購入でき、むしろ食費はかなりかからなくなりました。つらい停滞期には、再度食事日記をつけて自分で確認して乗り切りました。

そして、半年後。約14kgの減量に成功しました!

久しぶりに会った友人や知人から、嬉しい評価の言葉が次々と入ってきました。 現在、マイクロを使った私自身の目標まであと一歩です。

進行中、マイクロで綺麗にダイエットした成功者のコンテストがあるのを知りました。思い切って応募してみました。書類審査から始まり、面接や予選会がある度に停滞期に入ったりもしましたが、そんな時は迷わず薬局のスタッフに相談。最強のアドバイザーです。

今回のコンテストの応募者は約1500人だったそうですが、最終の本選に残るのはたった20名。私はその20名の中にエントリーされました!

コンテストは私にとって、マイクロを続けて目標に到達するまでの通過点。とてもすばらしい経験をさせていただきました。伺ったところによると、約500名のスタッフがコンテストに関わったそうですが、その素晴らしいステージでスポットライトを浴び、私の声が全国の多くの人に届いている。一生の思い出です。

そして、私の名刺には、マイクロダイエット第8回グランプリファイナルに登壇し、食生活改善・ダイエット成功者として「グランプリサポーター」の肩書きが加わりました。そして、私達成功者20名のOB会も発足しました。全国に素敵な仲間も出来ました。

今尚、自己の目標に向けて継続中です。

ダイエットをする上で、もっとも大切なのは、何の為のダイエットなのか、目標が定かであること。そして正しい食生活・筋力を鍛える為の運動。お肌のお手入れも、とても重要です。的確で分かりやすいアドバイスをしてくれるサポーターや進行中、評価してくれる言葉も強い励ましです。

コンテストの本選の時、いつも私の隣にいた20代の女性が言っていました。
「一年あれば何でも出来る。」
私は、20代の彼女からも教えられました。

振り返ると、私の最後のダイエットは、とても楽しいダイエットでした。

15号のコートとはもうサヨナラ

2009年マイクロダイエットグランプリファイナルにて
2009年マイクロダイエットグランプリファイナルにて


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娘は高2の6月頃から1円玉位のピンクの斑点が2カ所顔に出るようになり、皮膚科へ行ってステロイド入りの混合クリームを処方してもらいつけるようになりました。

しかし、つけたら治りますがやめるとまた出ての繰り返しが続き、範囲も広がってくるし、手足の関節にまで出始めた頃には「何かおかしい」と思い、インターネットでアトピーの事を色々調べてみました。

その結果、ステロイドの恐ろしさやアトピーの真の原因などが分かってきましたので、ステロイドを使わない皮膚科の先生の所に通うことにしました。

ステロイドを止めたとたん、リバウンドがおきてしまって滲出液の出る酷いアトピー顔になってしまいましたが、7ヶ月ほどかけてアトピーの症状が軽減されていき、頬と目の周りだけになりました。

体調が良い時には赤みが消えるのですが、肌のカサカサだけは残っていました。このような良い状態も3~4日のみでまた赤みが出てきてしばらく続くといった状態が1年間程続いておりました。

5月の下旬頃、娘が友達とのつき合いでケーキを食べてしまい、また頬と目の周りの赤みが酷くなってしまった時には「もうこの方法ではきれいな肌に戻るのには限界があるのかも」とさえ感じていました。

そんなある日、友人が春日部の薬局を紹介してくれ、友人の子供のアトピーも改善したことを聞いて、思い切って電話を入れてみることにしました。

そうしたら、とても親切に今までの経過を聞いて下さり、娘に合ったものを教えていただきまずはとにかく試してみようと思い、購入することにいたしました。

服用してから2週間位たった頃からでしょうか。娘の顔がきれいになり始め、さらに1週間経った頃にはつるつるの肌が戻ってきました。同時に、「2年間近く何をやっていたのかしら?」とさえ思えてきてしまいました。(笑)

今まできれいに見えてはいても肌の状態はカサカサでしたので、こんな短期間でつるつる肌に戻れるなんて、夢のようです。

遠方にもかかわらずお電話を下さって、アドバイスを頂いたり食事の指導をしてくださったりと薬局の先生方には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

この良い状態が続くように、さらなるアドバイスもいただきましたので、親子共々もう暫く頑張っていきたいと思っております。


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