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 今日、宅急便で丹波の黒豆が送られてきた。毎年、僕の漢方の先生が送ってきてくださる。ところが今日はその中に一枚の手紙が入っていた。
 「10月より店を引退することになりました」
 おそらく僕は35年くらい先生に漢方薬を教わった。僕の漢方の知識の99%は先生から頂いたものだ。講演会マニアの僕は多くの講演会に出入りし、知識を得ようと奔走したが、ピンとくる講師はいなかった。ただ、先生の講演を初めて聞いたとき、聞き手は選ばれた熱心な10数人の会だったが、当時有名な薬局がほとんどで、「漢方でこれだけの知識を持っている方々が、世の中にいて、同じ薬局ですなどと言うのはおこがましい。意地でも知識で追いつきたい」と決意した。親くらいに年齢の違う方ばかりが聴講生だったが、居心地の悪さを打ち消してもらえるほど、先生の知識は新米薬剤師にはすべてが宝物だった。
 その後35年間、先生の言葉を聞き漏らすまいと懸命にノートを取り、牛窓に戻り実際に患者さんに服用してもらい、知識を知恵に変えていった。その知恵は今では幅40㎝近くのノートの1群に大切に収められている。それを見ることができるのは僕の息子と娘だけだ。
 先生に巡り合うまでに、漢方の勉強会を勧められて幾人かの講師の勉強会に出席したが、あまりの難しさに入り口からついていけなかった。僕にはほとんど哲学のように聞こえた。ところが先生が初めて、医学としての漢方薬を教えてくださった。漢文の勉強より現代医学を重視する先生の講義にはついていけた。現代医学を知ったうえで漢方薬を武器として使うという発想は、とても新鮮で背中を押してくれるものだった。
 顔はよかったが頭が悪く医学部を落ちた僕にはとても肌があった。そうすると不思議なくらい漢方薬の知識が入ってきた。薬科大学で生薬で留年した僕なのに、「教えていただいた処方を牛窓に帰ってすぐあの方に使ってみたい」という欲求が向学心を掻き立てた。
 僕は誰にも言ったことがないが、先生の歩んでこられたような道を目指していた。吹き出すくらい面白い講義のように、吹き出すくらい笑って患者さんには帰ってもらいたかったし、あんなに大家なのに値段が安く、どなたにも対等に対処されていた。僕にはなかなか真似切るのは難しいが、本来的には似ているところがあると自負しているから、せめて足元には近づきたかった。
 先生が辞められた年齢までは僕も働こうと思うが、まだまだだいぶ先だ。それを保証する気力体力には自信がないが、そこもまた真似てみたい。せっかく頭の薄さだけはコピーのように真似れているのだから。それも今では誇りのように思える。


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