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先日からお話しましたように、

刺激を受けない状態よりも、
刺激に負けない状態にからだを養っていく方が理に適っている。

すなわち、刺激を小さくするよりも、刺激を受けて反応するからだを強靭にしていく。
その中ではもちろん、適宜に刺激はコントロールしていきますが。

簡単な例え話をいたしましょう。
同じ環境下に100人がいて、ある刺激に晒されたとき、
全員がその刺激に等しく何らかの反応を示した場合、
これはからだを強靭にしてどうこうできる類のものではなくて、
「からだにうける刺激」をトラブルの種と考えるのが自然でしょう。
簡単にいえば刺激が強すぎる

ですが、ある刺激に対して100人中1人だけが何らかの反応を示した場合、
これは「刺激をうけるからだ」をトラブルの種と考えるのが自然でしょう。
簡単に言えばからだが弱すぎる


からだが弱すぎるというのは、
裏を返せば「器」としてのからだが小さすぎること。
もしくは器に蓄えられたもの(エネルギー)の量が器に合っていないということです。
多すぎると溢れる=刺激に対する反応が過敏に現れるし、
少なすぎる器は冷えて、刺激に対して脆弱になる。

刺激を「かぜ」に例えるとわかりやすいかもしれませんね。

100人中1人だけがかぜをひいた場合、
その人はやはり、かぜをひきやすい(もしくはひきやすい状態)と判断されます。
もちろん一時的に疲れていただけかもしれません。
一時、体調が優れなかっただけかもしれません。
けれどそういうことも含めて、
かぜをひきやすい=かぜをひいて症状が出やすいのは、
ちょっとしたかぜに対しても過剰な反応をしてしまうか、
かぜを簡単にからだの奥深くまで招き入れてしまうか
のどちらかでしょう。

前者は発熱・炎症に代表される表証
(からだの表面に現れる症状)が顕著に現れやすく、
後者は寒気・分泌過多を伴う裏証
(からだの内側に現れる症状)が生じやすい。

そしてこういう場合に必要になるものこそ養生です。
「かぜをひきやすい」を治めるための養生。
それはケースバイケース。十人十色。

対して、100人中100人全てがぜをひくような場合、
それはもはやかぜとしてではなくて、何らかの凶悪な感染症として扱うべきでしょう。
そのような場合に始めて予防が必要になる。
そして予防というのは方法が決まっています。

エネルギーというのは少々厄介なもので、
それを納める器がないと飛散してしまう。
ちょうど、液体に似たような性質でしょう。
けれども私達が生きていくにはエネルギーを保持しておかないといけませんから、
エネルギーを収めるための器がおのずと必要になってきます。
それが「からだ」

漢方で考える健康(ちょうど良い状態)は、
程よい大きさの器に8~9割程度、熱湯に似た液体が満たされた状態と考えます。
すると器全体がちょうどよい温かさになります。
器をちょうどよい温かさにするための要点は
「器の大きさがちょうど良いこと」「中が8~9割程満たされていること」

小さい器ではすぐに満たされてしまい、かえって溢れやすくなる。
すると器は熱くなりすぎてしまう。
大きい器ではいつまで満たされることはない。
すると器はいつまでも冷たいまま。

きのうお話しましたように、からだに刺激を受けたとき、
そこ流れるエネルギーは盛んに活動していきます。
ちょうど器の中身が、ぐつぐつと沸騰してくるような感じです。
逆に言えば、刺激を受けないというのは器の液体に波風が立たないような状態。
器が大きく、中に蓄えられた液体が多いほどに、波風は立ちにくくなるものでしょう。

エネルギーが悪さをするから、これを小さくしようというのではなく、
エネルギーを蓄える器を大きくしていくことがやはり大切です。

ある刺激を受けた場合、からだに実際に現れる反応は

(刺激の大きさ)×(刺激に対する感受性)×(刺激に対する反応性)
という積み上げによって現れていきます。

もう少し詳しく説明していくと

からだは刺激を受けると
幾分かは受け流して
ある部分は、はねのけて
またある部分は吸収(蓄積)して
そうして体内に入り込むという運命をたどります。


このうち受け流したり、反発したりすることにからだはまず、エネルギーを使います。
俗にいう「バリア」ですね。
バリアを利用して受け流し、または、跳(は)ね除(の)ける。
このバリアを生み出すのに用いられるのが、
漢方におけるエネルギーであるところの「気」です。

そして前にお話しましたように、
エネルギー(気)は刺激を感覚することにも費やされます。
つまるところ、私たちのからだは
片や刺激を受け流したり、跳ね除けることにエネルギーを用い、
片や刺激を感覚することにも、エネルギーを費やすというわけです。
さながら、コインの表と裏のような関係です。

ですから刺激を跳ね除けるバリアが強固になることは、
それだけ刺激に対する感受性が鋭敏になることの裏返しでもあります。

過ぎたエネルギーはそれだけ御(ぎょ)しがたくなる。

つまり、からだを守るはずのエネルギーが、
勢い余ってからだを傷つけるという矛盾を抱えることになる。


ではどうすれば良いのか、という話に行き着くわけですが
それは、気を御する部分=からだの器を大きくしていくこと
で解消されると考えます。

刺激を受けない状態よりも、
刺激に負けない状態にからだをもっていく

方が、やはり健康で、理に適っています。

からだは良くも悪くも正直なもので、
どんな刺激であれ、晒されないと怠けて弱っていきます。
かぜをひくということも、考え方によっては免疫にとって良い刺激といえますから。
かぜを引いたことがない人よりも、
かぜを引いた経験がある人の方が免疫には力があるともいわれています。

一方で、ある刺激を継続して受けていると、からだはその事に慣れていき、
末には刺激を刺激として受けつけなくという側面もあります。
ちなみに、刺激の中でも痛みだけは別。
痛みは生命に直結するものなので、
決して慣れるものではないといわれています。

実際のところ、わたしたちのからだに備わった
さまざまなリズムやバランスはその刺激によって調整されています。
例えば、暑くなると冷たいものが、寒くなると逆に温かいものが感覚的に欲しくなる。
これもその一端です。
そして、刺激を受けることと、
その刺激に対してどういう反応をするかはまた別の問題です。
気温が5℃上がると、途端に冷たいものを口にしたくなる人もいれば、
まだ温かいものを口にしていたい人もいるでしょう。


以上をまとめると、刺激に対する反応は

(刺激の大きさ)×(刺激に対する感覚)×(刺激に対する反応)

のごとく、積算されるわけです。

前回に続き、感覚について。

漢方における感覚は、それをつかさどる部分、
例えば目や耳、舌や皮膚などから気(エネルギー)を
発することで働いていると考えます。
それをうまく言い表しているのが「気配」
呼んで字のごとくからだの周囲に気を配ることで感覚して、体勢を整えたり、身を守る。

そして気を発する程度はさまざまな影響を受けて変化していきます。

ひとつには、周囲の環境や状況
刺激が強いときには、その刺激からからだを守るという面でも気配を小さくする。

またひとつには、からだの状況
何かに集中しているときは他が疎かになるように、
集中しやすい人ほど、それ以外の刺激に対して鈍感になる。
それはつまり、気を発していない証拠。
ただ逆に、集中はからだの一点だけからエネルギーを発しているようなものだから、
それをつかさどる部分にかかる負担や消耗は甚だしい。

またひとつには、年齢
外へと発する気は内で錬られるが、年齢とともにそれは小さくなってしまう。
そうして目や耳などから発するエネルギーが減っていき、老化があわられる。
逆に言えば小児はエネルギーが過剰気味だから、
敏感になりやすいというのも当然といえる話。


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