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これまで、「健康の利きが悪くなる」という表現を用いてきましたが
これには大きく分けて、二つのケースがあります。
すなわち、一部か全部かということ。

健康というのは、丸い輪っかの様な形をしていると思うのです。
つまり、そこでは何らかの調和が保たれているわけです。
実際の健康診断において「悪いところはないか」という形で判断していきますよね。
要するに粗探しのようなものです。
輪っかのどこが綻んでいるのか、調和が乱されているのか。
そういうことを診ているわけです。
そして粗というべきところで、健康に綻びが生じており、
それに呼応する形で特定の症状が現れたり、病気が生じたりする。

けれど、健康の全体像が不鮮明なのに、そもそもの状態がどうかわからないのに、
どこに粗があるとか、どこが綻んでいるとか、そういうのがわかるものでしょうか?
特徴と粗というのは違いますよね。
それが、その人の健康の特徴でなくて、粗だとはっきり断言できる。
健康が脅かされている場合を除けば、
そういうケースは意外に少ないのではないか思います。
また実際は、原因がよくわからないのに、症状を訴える方、
不定愁訴を抱える方が多く存在します。
そういうケースでは、もっと視野を広げるというか、
健康全体を見つめることが重要になると思うのです。

健康は、それ自体は決して歪なものではなくて、調和をとろうと、保とうとします。
それは特定の部分に綻びが生じている場合も同様です。
負担を小さくしようとして、調和を保とうとして他の部分が利いてくるわけです。
柔軟性という表現がしっくりするかもしれません。
そして最初に述べましたように、健康の利きが悪くなるということには
健康全体の進退にも深く関わっています。
健康が退くほどに、輪っかが小さくなるほどに、
調和・バランスはとりにくくなる。すなわち柔軟性が失われていく。
これは必然ですよね。

長々と話してきましたが、健康は縮めないということよりも、
伸ばすということに重きをおくべきではないでしょうか。
健康法と呼ばれる多くの事が、「これをしてはいけない」とは謳わず、
「これをしましょう」と、前向きな姿勢である事が何よりの証拠だと思います。
そして、特定の「これをしましょう」を十度繰り返すよりも、
十の「これをしましょう」を一度ずつ行う方が、
調和というのは格段に取りやすいのではないでしょうか。

健康の利きが悪いという状態には、いくつか挙げられると思いますが、
その一つには

眼の利きが悪い
耳の利きが衰えた
足が利きにくくなった

というような、年を重ねることで現れるものがあります。
多くは、年のせいで済ませたり、諦めてしまっている類を指しますが、
字の通り「利き」が悪いので、それ自体は病気という範疇には入りにくいですよね。
けれども、もう少し詳しく見ていくと、
年相応に利きが悪いのは病気ではありませんが、
急激に利きが悪くなってしまうとか
年相応よりも利きが悪いというのは、
病気としての側面も含んでいると思われます


同じような病を患っても治癒力の違いによって、
治療の効果やその後の回復に差が出ます。
その逆で、病気やストレスなどを患うほどに、
からだとか健康の利きは悪くなる傾向にあります。
俗にいう老け込むなどはその代表的で、
傾向がとても強い状態なのではないでしょうか。

こうして考えていくと、健康的と病的との違いは、
何某かの程度によるものと見立てることもできます。
もっとわかりやすく言えば、脅威になるかどうか。健康とか心身に対して。
例えば、今年の夏。かなり暑いですよね。最高気温36℃超えです。
この暑さはまぎれもなく病的でしょう。
ですが、そもそも夏は暑いものですから、
ある程度の暑さは然るべきで、その暑さを享受するのは健康的といえます。
冬の寒さも然り。年齢に伴う老いもまた然りです。
逆に、夏にも関わらず暑さを感じない、いたずらに遠ざける方が病的だと思うのです。

ご無沙汰しています。
梅雨が明けて一気に暑さが盛んになりましたね。
京都市街は祇園祭一色ですが、とにかく蒸し暑い。
暑さも然ることながら、肌にまとわりつく湿気がこたえます。

さて、健康に関する相談を行っていますと、
「健康って何だろう」と、考えることがあります。

いずれの病院や薬局においても、
そこを頼ってみえる方は健康に何らかの不安を抱えています。
この不安の多くは、病気や症状によるものでしょうが、
ではその病気や症状を取り除けば、健康なのでしょうか。
またあらゆる病気や症状を果たして、都合よく取り除けるものでしょうか。

これは私の個人的な見解ですが、
「健康あらざる」には二通りあると思うのです。
一つは病気を抱えること
もう一つは健康の利きが悪いこと
漢方において言及される自然治癒力も、健康の利きの一つだと思うのです。
ですから、なかなかよくならない、快方に向かわないときには、
病気がそれだけ大きいと考える一方で、
治癒力(健康の利き)が悪いのではないか?
と原点回帰することも必要だと思うのです。

以上のような考え方を踏まえると
俗にいう「健康的」というのは、病気を解消するだけでは
半分しか到達されていないのではないでしょうか。
言い方を変えれば、難病を抱えていても、
健康の利きを良くすることに努めれば、それはそれで健康的だと思うのです。
そして病気を解消するということには、
始まりとか終わりとかそういうものがあるでしょうが、
健康の利きを良くする、健康を利かせるということには終わりなどありません。

だからこその健康を保つという考え方。
健康を保つ、長く続く健康とは、
健康の「大きさ」も然ることながら、健康の「利き」によって支えられるはずです。

疲れの裏に乱れあり。
きょうから7月。早くも半年が過ぎたわけですね。
京都は梅雨明けと共に、祇園祭で賑わう一ヶ月。
繁華街はさぞ活気に溢れることでしょう。
個人的には、その界隈で行われる歩道拡張工事の影響が気になるところです。

長患い。何を持って長患いとするかといわれると迷いますが、
この場合は文字通り、長い間をかけて患っている、症状を抱えているという認識で良いかと。
長く続く疲労であったり、長期に渡る耳鳴りなどもこれに含まれることでしょう。

十人十色の長患いでしょうが、
それらに共通するのが、「篭(こも)り、窮(きわ)まる」という点。

長引く症状に皆さんが感じる「頑固さ」は、
病邪が長い時間をかけて「篭り、窮った」状態に陥るからと考えられます。
これは他方で、暑気当たりのように、
短い期間に集中的に「篭り、窮まる」症状にも同様に言及できます。

暑さが篭もり、暑気に負ける
気持が篭もり、心神が鬱する
血液、体液が窮まり、視覚・聴覚を災う

「篭もりやすさ、窮まりやすさ」とでも言えば良いのでしょうか、
そういう傾向は、年齢や性格などはもちろんの事、
身を置く環境や身の回りの状況など、実に多くに影響されます。

そのような場合、症状に関わらず必要となるのは、「和ませる」こと。
篭もった中身、窮まった状態を自然な形で解消してあげる。
「柔らかくする」という方が的を得ているかもしれません。

まさしく、柔よく剛を制す。
柔とは、和ませる、解消する治療のこと。
剛とは、篭もり窮まった病状のことを指すと思うのですよ。(つづく)


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