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3年前に職場が変わってから、円形脱毛症ができるようになったといいます。治ってはまた繰り返し、最近では大きいものでこぶし大ほどのものがあります。体質は、不眠、頭痛、めまい、動悸、不安感があります。
  自家製漢方煎じ薬を調合。1か月後、まだ症状に変化はありません。さらに1か月後、前より眠れるようになってきたといいます。
その後も同処方を継続し、1年がたった頃に、脱毛していた部分から毛が生えてきました。
そのまま漢方薬を継続し、3年が経過していますが、新しいものはできていないといいます。

ガンなどでは病の進行具合による分類が一般的ですが、漢方でも疾病の進行や状態による分類があり、六経分類と呼ばれています。
六経分類はその名の通り、病期が次の6つにわかれており段階的に病が進んでいくとされています。



●太陽病
頭や背中といった体の上部表面に位置する箇所で、病が停滞していることをいいます。
罹患してはじめに症状が現れる部分であり、主な主訴として悪寒や頭痛、浮脈などがあります。

●少陽病
太陽病よりも疾病が少し中に入った、つまり外から見ただけではわからない部分に関わる症状もあらわれてくる状態です。例えば、脇の痛みや口に関する症状などがあり、場合によっては乾きや吐き気がみられることもあります。

●陽明病
主として胃腸に関わる症状を訴え、腹部の膨満感や便秘などが代表的な症状です。
また、徐々に体の内側へと病が進行してきているので、熱も内側にこもっていきます。

●太陰病
上記3つの病期を経てもなお改善されず、さらに拍車をかけた状態になってきます。
特に胃腸関連の症状は痛みを感じるようになり、次第に悪化してきます。

●少陰病
疾病がかなり進行し、体全体の抵抗力も下がって疲れが出てきている状態です。
血行も悪いので手足も冷え、各器官の機能にも低下がみられます。

●厥陰病(けついんびょう)
少陰病よりもさらに体全体の機能が低下し、衰弱しきった状態です。
場合によっては重篤な状態を引き起こすことがあります。


太陽病から始まり厥陰病まで、陽や表の状態から、そして陰や裏のほうへ進んでいくとされています。しかし、慢性病がひとつの病期でとどまっていたり、不可逆的に進行することもあり得るのでこの限りではありません。


漢方では病期も考慮して、各期に合った漢方薬が処方されることになります。
しかしながら、これは証などにおいても同じことが言えるのですが、やはり病期や症状が合っていなければ相応の効果を得ることはできません。
従って、表や陽に合わせた漢方薬を服用していても一向に効果を感じられない場合は、裏であったり陰に属する漢方薬に変えてみることで症状の改善を見られることがあります。

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2年前より足のムズムズを感じるようになり、最近では全身で感じることもあるといいます。
手足の冷え、こわばりもあり、イライラ感も強いといいます。また、歯ぎしりもあります。
  自家製漢方煎じ薬。飲み始めて1か月後、手足のこわばりが取れ、ムズムズ感もいくらか良いといいます。
さらに1か月後、ムズムズ感が減ってきているといいます。
その後も漢方薬を継続し、1年がたった頃にはムズムズ感を感じることは無くなったといいます。

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さて、漢方の歴史シリーズも終盤を迎えてきました。
紆余曲折があっても生き残ってきた漢方は、幕末を迎えて西洋の文化が流入するとともに、衰退の一途を辿ることになります。

それが顕著に現れているのが、明治9年に実施された医術開業試験です。新しく医師として活躍するためには通らざるを得ない試験なのですが、この試験科目に漢方は含まれていませんでした。危機感を抱いた漢方を専門とする医師たちは抵抗を試みますが、徒労に終わってしまいます。

そのため、漢方はほぼ全滅状態となり、その姿をみることはほとんどなくなってしまうのです。

では、今の日本の医療において漢方が保険適応になっていることからもわかるように、どうして一定の地位を築けたのでしょうか。

それは、これから紹介する人物の活躍があったからに他なりません。


一人目に紹介するのは、和田啓十郎です。

医師として西洋医学を生んだ彼は、吉益東洞の「医事惑問」に深く感銘を受け、漢方の研究を始めます。そして、彼は西洋医学では補いきれない部分を漢方がカバーできること、また、現在の漢方が排されている医療界を憂えて「医界之鉄椎」を執筆することになります。

20年に渡る研究成果が集約されているその著作は、出版社がみつからなかったため自費出版となりましたが、増刷されるなど大きな反響を呼びました。

彼の書物によって、漢方は再び日の目をみることになります。

和田啓十郎の想いを受け取ったのが湯本求眞です。

彼は西洋医学の医師として活躍していましたが、あるとき、長女が疫痢を患ってしまいます。これを機に、西洋医学への疑問を抱くようになった彼は、和田啓十郎の著書と運命的な出会いを果たします。

それから漢方に傾倒した湯本求眞は、和田啓十郎と同じく自費出版で「皇漢医学」を執筆します。その後も2巻、3巻と出版していくにつれ、徐々に今日の漢方が形作られ、人々の関心も寄せられていきました。

彼は、一度は姿を消した漢方を組織付けただけではなく、復活させるという偉業を成し遂げました。まさに、彼がいなければ漢方がここまで私たちに貢献してくれることはなかったかもしれません。

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34歳のころより不妊治療をしているようですが、一度も妊娠したことがないといいます。
体外受精も、初めのころは採卵して毎回受精もできていたようですが、最近では空胞やすぐに分裂が止まることもでてきたといいます。体質は、目の下のクマ、舌の裏の静脈のうっ血、足の冷え、肩こりなどがあります。基礎体温表の高温期が、36.6度前後が多いです。
  自家製漢方煎じ薬を調合。飲み始めて3か月がたった頃より目の下のクマ、舌の裏の静脈らが改善しました。ただ基礎体温の温度は変わらずでした。
その後、薬方を変えました。すると次第に高温期が上昇。
36.8度前後まで上がりました。体温が上がってから3か月がたった頃採卵し、受精に成功。
その後胚盤胞まで育ち移植。漢方薬を當帰芍薬散料に変えました。
受精卵は無事に着床し成長。漢方薬はそのまま継続し、無事にご出産されました。


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