石塚左玄は日本で食養(食事療法)を唱えた最初の人で、明治二十九年に「科学的食養長寿論」が出版されています。それによると食養の骨子は
(1)食本主義
食物が人間を養う。したがって病気は食物で治る。「医食同源」と同意。
(2)穀食主義
人間は穀食動物である。食物の五十パーセントを主食(穀類)で補う。
(3)身土不二論
人間は環境の中で生かされているということ。
現在住んでいる土地で出来るもの、すなわち「旬なものを食べる」ことです。
(4)一物全体食論
食物はそれの全体で、栄養のバランスが取れているということ。
この考え方の代表は「玄米」です。小魚のように丸ごと食べられるものなど。
(5)陰陽調和論
自然には四季があり、暑いときも寒いときもあります。変化する自然環境の中で
生きてゆくには、暑い時期には体を冷やす(陰性の)食物、寒い時期には温める(陽性の)
食物を食べて、自然との陰陽のバランスをとっているのです。
石塚左玄は以上の食養論を唱えて、具体的には「日本の伝統食」とは、
①主食は米であること。
②副食はその土地に産するものであること。
③時季の野菜と海藻が主であること。
④近海で取れる小魚をなるべく丸ごと利用すること。
⑤体質や病気により食物を選ぶこと…と言っています。
また、食べ方について
①腹が減らねば食べないことと、小食を守ること。
②ひと口ひと口十分に噛むこと。
③全体の調和を心がけること…を勧めています。
石塚左玄 日本の軍医・医師・薬剤師。玄米・食養の元祖。
二、陰陽の調和
自然の陰陽
古人は、「人間の自然の一部なので、自然と調和をとって生活するのが長生きの秘訣である。」と考えました。そこで自然を観察し、そこに一定の相対的なバランスやリズムがあることを発見したのです。それを陰陽の二つに大別しました。
水、氷、寒を陰とし、火、炎、熱を陽と考えました。又、動物(動くもの)は陽、植物(静止しているもの)は陰としました。したがって、夏・春・秋・冬の順に陽から陰へ変化しています。
人体では体表面は陽、内臓を陰。上半身を陽、下半身は陰。背を陽、腹を陰と考えました。
色では赤外線・赤・橙・黄・緑・青・藍・紫・紫外線の順で陽から陰へと変化しています。
ビタミン・ミネラルではB12・A・D・E・ナトリウムは陽性、カルシウムはやや陽性、ビタミンB群は中性、マグネシウムはやや陰性、カリウム・ビタミンCは陰性に属します。食物では一般に、動物性食品は陽性、植物性食品は陰性とし、植物でも葉は陰、根は陽とします。
解説:惠木 弘(恵心堂漢方研究所所長)