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症状の裏に消耗あり。引き続き「鬱症」について。

前回にお話したように、
鬱症は原因や経緯がはっきりしている場合と、そうでない場合があります。
そういう中では、ストレスや圧力を受けているのか、そうでないのか
という点も一つの分かれ道になります。

すなわち、俗にいわれる「うつうつ感」が、
外からもたれされるものか(そういう環境に身を置くことで生じるものか)
それとも、からだの中で長い時間をかけて練り上げられるものか
という点に深く関わってくるわけです。
東洋医学の世界では、
外からもたらされるものは「外邪(によるもの)」、
内で生じるものは「内邪(によるもの)」としばしば呼ばれたりしますね。

そして、からだの内側へ邪気が侵入するのを防ぐ:「抵抗力」は、
この外邪に対しては有力ですが、内邪に対しては甚だ無力です。
本来はそうならない為に、
内に生じた邪気を体外へ排出する:「発散力」が備わるはずですが
からだの内で「うつうつ感」を練り上げる方は、
この働きが弱まった状態にあると考えられます。

「・・・では、その働きを漢方薬で補ってやれば良いんじゃないか」
と考え及ぶかもしれませんが、現実はうまく事が運びません。
邪は凡そ、「正を伴わないと動かない」という
性質(たち)の悪い部分を持ち合わせます。
具体的な例では、かぜを引いた時に
からだから邪を追い出そうとして汗をかき続けると、
どんどん消耗していく。それと同じような事でしょうか。(つづく)

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症状の裏に消耗あり。引き続き鬱症について。
だいぶ流れがそれていますので、きょうは本来の「鬱症」に立ち戻った話を。

・気持ちが落ち込み元気が出ない
・何事にもやる気が起きなくなる
・悲観的になりやすい

実際の鬱症は、そのような心の症状を伴う場合が多いのが特徴。
ですが一方で、明瞭な経緯(ストレス、心傷など)を通じて
鬱症に陥る場合もあれば、そうでない場合もあります。
このような場合、前者は個人の中ではっきりした喪失感があるのに対して、
後者ではそれが不鮮明だったりする。
つまり、「何故そういう心の状態に陥ったのか」
この点を自分なりに(あるいは他人から指摘されて)理解できている場合(症状)と、
その原因や経緯がよく解らない場合の二つがあり、

この二つが合わさった中間のような症状もやはり考えられます。

実際の漢方相談では、トラブルとなる症状に目を向けると共に、
こういう点を重んじたりする。
すなわち、明確な経緯を伴う「鬱」というのは、凡そ「変化」によってもたらされる。
「変化」だから、基本的にはっきりしている。そして著しい。
だから訴える症状もはっきりしていて、こちらも理解しやすかったりする。

逆に経緯が不明瞭な「鬱」というのは、凡そ「消耗」によってもたらされる。
「消耗」だから、基本的にゆっくり「している。同時に鈍い。
だから訴える症状もぼんやりしている。

そして前者は「変化」がポイントになるから、
別の変化を効かせるというのも一つの対処法になります。
「ストレスを発散する」の「発散」という治療や養生は、
時にそういう目的をもって行われたりする。
逆に「消耗」がポイントとなる場合、
「発散する」のはさらに消耗を加速するだけなので、必ずしも有効ではありません。
そういう場合は文字通り「補う」という治療が主体になる。(つづく)

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症状の裏に消耗あり。
前回に引き続き、鬱について。
前回はからだに備わる「壁」の存在についてお話しました。

人間のからだは皮膚や粘膜といった「壁」に覆われています。
この点では、一つの器として捉える事ができます。
そして、そんなからだに備わる複数の臓器も
また別の壁(内臓壁)に覆われている・・・。
さらに、その内臓壁を構成する一つ一つの細胞が
さらに別の壁(細胞壁)に覆われている・・・。

現代医学ではしばしば人の健康が細胞レベルで議論され、
細胞を賦活する(元気にする)ことで、
病魔を退け、健康を増進するという考えに及んだりします。
ミクロな医学とか呼んだりするらしいですね。

けれども、「細胞レベルの健康」は
やはり一部の健康、ときとして狭い範囲での健康(例えばからだの諸機能)を
支えるに止まるのではないでしょうか?
とどのつまり、「一理は万理を兼ねない」という話です。

少々解りにくい話かもしれませんので、一つ例え話を致しましょう。

この地球には、わたしたち人間をはじめとして、他にも大小様々な動植物がいます。
そういうもので「生態系」が作られ、
植物は草食動物に摂取され、草食動物は肉食動物や人間に摂取され、
その死骸や老廃物は土に還され、植物に摂取されるというループが営まれている。

そういう点では、土の中に存在する小さな小さな生物が
大きな生態系を支えると考えられます。
ですが現実には、土の中の生物は、土の中の環境に関与するに過ぎません。
もっとも簡単なところでは、土の中の生物がどれだけ頑張っても、
植物にとって必要な雨や水をもたらす事はありません。
それは生態系の外の理、大気の働きによるものですから。


このような考え方は、わたしたちのからだや健康、さらに病状なども通じる考えです。
細胞レベルではどうにもならないこともあり、
内蔵の諸機能ではどうにもならないこともある。
人の心や心情などは、ときとしてそういうものではないでしょうか?

ここで断っておきますが、私自身は
細胞レベルで健康というものを捉えたり考えたりすることを
悪いとか誤りだといっているわけではありません。
ですがミクロな視点だけではなくて、時にはマクロな視点からも
病状や健康を考えていく必要があると考えているわけです。

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症状の裏に消耗あり。
引き続き、鬱について。

東洋医学では、からだにはこれを覆う「壁」が備わると考えられています。
免疫力・抵抗力のような解釈もありますが、
もっと広範な存在も意味しています。

壁は本来、①外界と遮蔽するための存在ですが、
同時に②壁に覆われたスペースを保つ役割を果たします。
ですが完全に密閉され、往来が無くなると、生体ではさまざまな欠乏が生じる。
それでは「どこかに、入口と出口を設ければ良い」と考えつくが、
大きな口は自制が利きにくいというデメリットを抱えるわけです。
そして物事は万事が一方通行ではありませんから、
出口が入口を兼ねるということもあり、その逆も然り。
そういうわけで生体の壁には
③無数の微小な口(穴)を通じて出入を調節する、素焼きに似た役割もあります。

生体膜や皮膚、そして筋肉、脂肪などは実際、そういう構造や働きをしています。
そして東洋医学における「壁」というのは有形・無形を問うことなく
外からの邪気を通さず、正気のみを通すという大変に都合の良いものです。
(逆に内からの邪気は通し、正気は通さず。)
無形とは目には見えないけどそこにあると感じるもので、
外からかかるストレスや重圧、胸に抱えたモヤモヤ・イライラ感などを指しています。

ではそのような「正を肯(うべな)い、邪を拒む」調節を
誰がやっているんだという話ですが…、
それは私たち一人一人が、
生まれてから死ぬまで、日夜知らず知らずのうちに
行っています。
当たり前のことで、ほとんど意識しないから、逆に疎かになってしまう。
とどのつまり、健康もそうではありませんか?
多くの先生方が言われるように「からだは正直」です。
正を肯(うべな)い、邪を拒むということもある意味、この正直ではないでしょうか?
(つづく)
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症状の裏に消耗あり。
前回に引き続き、鬱について。
ただ、ここでお伝えしている内容は、鬱症を抱えている方に限った話ではありません。
ストレスを抱える事が多い現代の社会生活では、誰にでも当てはまる事だと思います。

さて、前回の末尾で「からだの風通しを良くしよう」という話をしましたが、
具体的にはどうすることを指すのでしょうか。
からだに備わる「窓のようなもの」を開けておくことでしょうか。
それとも、からだに脈々と流れる「通り道のようなもの」を整備しておくことでしょうか。

話が飛びますが、ストレスについて多くの場合「発散する」という表現を用います。
他の「消化する」とか、「分解する」などの表現を用いる事はありません。
発散には「内部にたまったものが外部へ散らばって出る」という意味があり、
その過程では「内部と外部の風通しを良くする」という節目があります。

風通しが良い状態を整えることによって、自ら散らばって出ていける。
躁・鬱に悩む方はこの部分がうまくいかない(働かない)と考えられます。
そしてうまくいかない道理には幾つか考えられますが、大きく分けると
①実証:ストレス(気の痞え)が大きすぎて、風通しを良くしても解消されない場合
②虚症:発散する地力が乏しくて、うまく外部に散らばって出ない場合
という対極的な2つが考えられます。

そしてここまでの話を踏まえると、前述の「風通しを良くする」とは
からだにプラスとなるものが入り易く(マイナスとなるものが侵入し難く)、
からだにマイナスとなるものが出易い(プラスとなるものが出難い)、
つまりは正を肯(うべな)い、邪を拒むということに通じていくわけです。(つづく)

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