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疲れの裏に乱れあり。

今週の京都市内は、暑い日とそうではない日が、
互い違いに訪れている様な気がします。
『大暑』というほどではありませんが、今の時季としては暑い。
今年のGWはどうなんでしょう。
やはりこのままじりじりと、暑い日が食い込んでいくんでしょうか。

こういう場合の疲れ、すなわち暑気による疲れを東洋医学ではどのように考えるのか。
この時季の、度を越えたともいえる暑気による疲れの裏にはいかなる乱れがあるのか。
以上を、個人的な見解も含めて解説していこうと思います。

一番に問題になるのは、『暑さが急にやってきたこと』です。
自然のペースと人間のペースが合っていない。
つまり人間側の暑さに対する準備が整っていない。
だから適応していけずに、参ってしまう。

これについては地球温暖化とかいろいろな問題があって、
変化や変動が激しいという部分もたしかに影響しています。
ですがその反面、私達の身体の適応性や順応性が、
一昔前と比べて、確実に低下している
ことも否めません。

そして、夏の暑さには湿気がかなり関わってきますが、
今時分の暑さはそれ程でもありません。
けれどこの暑さに対して、水分補給で対応していく方が少なからずいる。
そうすると湿気による疲れも帯び、疲労感が倍増するという面も出てきます。

以上をまとめると、
暑さの程度はそこそこだけれども、
それを受けるからだが対応できていないのが
疲れの裏にある乱れの様なものだと言えます。
ではその対処法ですが、これはまた次回にお伝えする事にします。(つづく)

症状の裏に消耗あり。
疲れの裏に乱れあり。

疲れ(疲労)は今日の社会にあって、最も身近な症状の一つではないでしょうか。
多くの方が何らかの形で疲れを抱えている。感じている。
そして知らず知らずのうちに、
その疲れに慣れてしまう、馴染んでしまう。
そんな自分を感じた事がありませんか?
そしてそれを解消しようと、疲れに合わせて受身的な生活を余儀なくされる。
そんな生活を送っていませんか?
いわば疲れから生じた「乱れの様なもの」が、
いろいろなものを次々と巻き込み、大きく成長していく。

疲れには体の疲れがあり、同時に心の疲れがあります。
そしてその疲れは
性別によって異なり、年齢によって異なり、
社会によって異なり、季節によって異なる。

そんな疲れですが、なかなか当人以外には理解し難いという面もある。
それは疲れを「一本のものさし」では推し量れないし、
仮に推し量れたとしても、なかなかピンとこない部分もあり、
最大の理由は貴方と私の疲れが違うから
それは一口に疲れといっても、
そこには様々な自覚症状が含まれ、時には感覚に訴えてくるから。
疲れとしての性質は同じでも、
受け取る側の都合というか、そういうもので様相は変わってくる。

そういうときに唯一といって良いほどに頼りになるのは「自分自身の感覚」。
スポーツのように、同じ行いを通じて共に疲れるもの同士を除けば、
疲れは基本的に共有できない。
だから貴方がよく分からないもの(感覚)を
周囲のものがわかるというのは現実にはかなり無理がある。
「的確に正確に説明して下さい。」という事ではなくて。
そして、そういう問題をクリアするために
「町の相談薬局」があって、さらにそこでの問診があるわけで。

だから、疲れに関わらず、
よくわからない症状や漠然とした感覚があるなら、
それらをはっきりさせるためにもまずは気軽に相談してみよう。
真剣な相談は、真剣に乗ってくれるけれども
気軽に相談に行けば、そこはやはり気軽に相談にのってくれる。
それが当薬局が大切にしている「相談薬局としての良さ・・・ですよ。
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症状の裏に消耗あり。

健康を考えるとき、多くの方は病気を通して健康を考えてしまいます。
社会の高齢化に伴って疾患率が高まり、
結果的にそういう風潮が強くなるのは理解できることです。

ですがそもそも「健康である事」と「病気を治す事」は異なります。

健康であれば、たしかに病気を患う可能性は低くなります。
逆に過労や生理、老化など様々な経緯で健康を損うと、
病気や症状を患いやすくなる。
これは皆さん納得いただける事でしょう。
では「病気を患えば、それはもはや健康ではないのか?」
と言えば、必ずしもその通りではありません。

たしかに長患いや大病は、ときとして健康を傷つけ、損なわせます。
けれど、そういう時にまず問題とされるのは「病の大きさ」。
もちろん、病そのものを完全に解消できれば、それが一番の理想ですが、
性別や年齢に関わる疾患ではなかなか難しい場合もある。

このような場合、治療は「リスク・マネーメント」としての役割を果たします。
すなわち病の大きさを、健康を損なわないレベルにまで
引き下げる為に用いられる。
症状をゼロにする事は難しいかもしれないけど、
半分に、さらに三分の一にすることを目標するわけです。

そして最初に述べた「健康である事」はその実、
「健康の大きさを、大抵の患いでは傷つけられないレベルにまで大きくする事」。
対して「病気を治すこと」は
「病の大きさを、健康を損ねないレベルにまで小さくする事」。
「大きくする事」と「小さくする事」は、助け合うことはあっても、
互いに依存することはありません。
ですから「健康である事」と「病気を治す事」はそもそもが異なるわけです。
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症状の裏に消耗あり。

男性と女性の「健康の違い」というのは、
東洋医学の世界では割とよく知られた話です。
それは前回もお話した、
男性は8の倍数で、女性は7の倍数で体調が変化するという経験医学的な見地や、
男性は陽性、女性は陰性に属するという考え方に見てとれます。
また、ときには病状に対して「男性(女性)特有の症状」
という考え方を持ち、それに適した生薬製剤や漢方処方を用いるのも特徴的です。

もちろん、健康に関わる全ての事象、世の数多の病の全てが、
男性と女性という形ではっきりと区別できるわけではありません。
ですがときには、男性に多いかぜ(症状)や、女性に多い冷え(症状)
のようなものを漠然と感じるのも事実です。
もちろん「男性が風邪を引いたなら、この漢方薬を服みなさい」
というものでもないでしょうが。

現実には男性と女性という性の違いのほかにも、

年齢や家族構成:結婚しているのか、子どもはいるのか。
社会環境:仕事上での役職やそれに伴う責任。
気候、風土:暑い、寒い、湿気が多い、乾燥しやすい土地柄なのか。

など、実に多く事柄によって、健康というのは変化を帯びます。
その変化も、長い時間をかけてもたらされる場合もあれば、
急激に起こる場合もあります。
健康が違えば、当然そのための健康法や養生法、治療法も本来は違ってきます。
ですがここで言いたいのは、そういうときこそ
「上ばかり見ずに、足元にも目を向けてください。」ということ。

話が少し脱線しますが
桜の季節に花見に行って上を眺めて「あぁ、やはり桜は美しいね」と感慨にふける。
けれどその方に足元には、ポイ捨てされた紙屑やゴミが転がる。
京都の鴨川ではそんな情景をたびたび目の当たりにします。
この方が見つめて唱える美しさには、ついつい首を捻ってしまう。

言ってしまえば至極当たり前の事ですが、
健康を追い求める前には、
「自分がどういう状態にあるのか」、「どういう状況に身を置くのか」
という、足元を見つめ直す行いが先立つべきではないでしょうか。
そしてそれは「人生を振り返ることにもよく似ているなぁ」と、つくづく感じます。
今まで生きてきた道、これから歩む道が人生。
そして、その道を歩いていくのに欠かせないのが健康だと思います。
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症状の裏に消耗あり。

前回の話でたびたび使いました「健康の質」という言い回し。
自ら発した言葉ですが、これはなかなか奥が深いのでは・・・と思います。

これをお読みの皆様も何となく感じ入るところだと思いますが、
男性と女性では健康に求めるものが違います。
言い方を変えれば、「健康上の違い」があり、「健康の質が違う」ということ。

実際にも、男性と女性は、民俗学的には同じ民族として扱われますが、
生物学的な立場では、ときとして「別の生物」として考える側面があります。
また東洋医学でよく用いられる
「男性は8の倍数で、女性は7の倍数で体調が変化していく」
という言も、こういう健康上の違いを反映しています。

では具体的に、どのような部分に健康上の違いがあるのでしょうか。
からだの構造が違うから、それを保つ為の健康は当然のように異なる。
たしかにその通りではあります。
けれど、その「からだの構造」を形作るのもそれぞれの健康の賜物。
男性としての健康があるから「男らしさ」が発現されて、
男性としての機能も発揮される。
女性も然り。

これは私の個人的な考えですが、
人間は男でも女でもないような中間の状態で生まれてきます。
生まれたときから男ではなく、生まれたときから女ではないでしょう。
からだの構造にはたしかに性別があります。
でもそれは性別であり、そこに性(質)は宿っていません。
そういう部分はむしろ、そこから先の人生で養われていくのではないでしょうか。
(つづく)

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