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 朗読当番の日だけミサに参加すると言う不良信者だが、それを証明するようなミサの説教が日曜日にあった。
 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ていた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨2枚を入れた。イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っているものをすべて、生活費を全部入れたからである。」

 この内容に関して神父様が説教をされたとき、一人僕だけが噴き出した。それは身に覚えがあるからだ。経験がない人にはわからなかったのだろう。僕には滅茶苦茶面白かったが、他の人には実感がまるでなかったのだろう。
 説教の内容は、「普通の人でも、その貧しい女性のように有り金をすべてはたくことがある。それは博打の時だけだ。負けが込んだ時に一発逆転を狙って持ち金のすべてをかける」というものだった。
 45年前のある雪が降っている夜。僕は柳ケ瀬のバス停で岐阜薬科の学生を探した。バス代をせびるためだ。当時100円あれば大学がある三田洞まで帰れていたと思うが、その最後の100円をパチンコ台につぎ込んでしまったのだ。記憶ではいつものように100円玉を一つ残してバス停に行ったが、その夜はバス停から再びパチンコ屋に戻ってしまったのだ。それこそ「ひょっとしたらこの100円が大当たりするかもしれない」と言う、根拠のない希望を抱いて。魔がさしたと言うしかないとはきれいごとで、魔は当時常に僕の中に住んでいた。
 かなりのバスを無念のうちに見送ったのち、あきらめて柳ケ瀬からアパートまで歩いて帰った。雪が降っていた。傘など持ってはいなかった。バスで20分くらいの距離だからだいぶ時間を要しただろう。アパートに辿り着き友人を見つけ話しかけたとき「うーうー」とまるで喚き声しか出ず、言葉にならなかったことをよく覚えている。岐阜の冬の夜は顔が、口が凍るのだ。
 怖いものがなかった青春時代を思い出させてくれた「笑える」説教だった。


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