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漢方薬と言えども、さすがに人の性格まで変えることはできません。

けれど、人の性格に同伴する存在=気風へのアプローチは可能です。
漢方薬のおかげで、ずいぶん穏やかになった。
そう感じさせるのは、人の性格ではなく、気風がなせる業だと思います。

人の性格は、体質や性質と同じく、簡単に変えることはできません。
幼少期にインプットされたものは、老いるまで引き継がれてます。
「年をとって丸くなった」と言いますが、皆がその通りにならないこともまた事実です。
性格を改変するのには、長い年月と、性格を変えさせるような濃い経験が必要になります。

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対して、気風には定まった形がありません。
穏やかなときもあれば、尖るときもあります。
当たり前の話ですが、優しい人だって、怒るときは怒ります。
その怒りは性格に由来しておらず、
「頭にきた!」という瞬間の気風に誘発されて起こります。(俗に言う、沸点が高い怒り)

心身一如に根ざした東洋医学。
人の気風(=心)を整えるには、やはり体を巡る気を整えるに尽きます。

新元号の典拠で話題になった万葉集の和歌
気淑く風和ぐ・・・。「空気が良く、風は和らいでいる」の意味ですが、
人の気風にも同じことが言えるのではないでしょうか?
体内の良好な気の巡りが、気風に和らぎをもたらす
和やかな気風は、性格をオブラートに包みこむ。

それをしばしば、性格が良くなったと感じるのだと思います。

2019年5月からの新元号が発表されました。

令和。その出展は万葉集の歌から。

「時に初春の令月、気淑く風和ぐ」

令月=善い月、好き月
気淑く風和ぐ=空気は良く、風は和らいでいる
の意味らしいです。

「和」という漢字は、過去の元号でもたびたび用いられてきましたが、
漢方で「和」といえば、すぐに思い当たるのが柴胡を用いた和法(和解法)です。
和法は、病気を攻める瀉法とも、正気を補う補法とも異なる、独特の漢方治療法です。
一説には解毒に近いとも言われますが、現代においては
感冒のこじれた症状から内臓や肝機能障害、果てはストレス障害や神経症にまで応用されます。
ある意味、現代のストレス社会、そこに暮らす私たちには、ありがたい漢方薬です。
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あくまで主観的ですが、新元号の令和の精神は、漢方における和法にも通じると感じます。
「気淑く風和ぐ」が、新しい時代の世風を象徴するように、
その時代に暮らす私たちにも、気を良く、気風を和らいでいくことが望まれます。
それに対して、漢方の和法は、体内で滞り、濁った気を、
本来あるべき、自然で澄んだ、穏やかな状態に近づける治法です。
要するに、和法を通じれば、体を巡る気が「気淑く風和ぐ」に近づくという訳です。

また残念ながら、元号が変わっても
ストレスがつきまとう社会性、社会情勢はなかなか変化しづらいかもしれません、
なればこそ「令和」が、これからの時代を象徴できるように、
ストレス対処の一助として、漢方の「和法」がお役に立てればと思います。

「漢方・生薬と言えば人参」というぐらい、知名度が高い薬用人参
現代では医薬品からサプリメント、化粧品に至るまで、さまざまな形で活用されています。

そんな人参は、漢方薬にも欠かせない存在ですが、
実のところ「人参を摂ること」と「人参を用いた漢方薬を服用すること」には、
用途・効能の点で違いがあります。
それこそ「健康長寿の為に!」という、薬用人参の謳い文句は、人参湯に通用しません。
(その一方で、どちらが優れている・劣っているという話でもありません。)

人参には人参七効に代表される、数々の優れた効能があります。
一例を挙げると、補気救脱、益血復脈、養心安神・・・。
単純に考えれば、その用法には七通り(もしくはそれ以上)が存在する訳です。
人参を用いた漢方薬が数多く存在して、各々が別々の効能が持つのも、この点に基づきます。

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唯一無二の、素晴らしい効能を持つ生薬だからこそ、
その用い方にも多彩な形式があって然るべき。
古人もそのように思案したのではないでしょうか?

また一方で、薬用人参には、人の元気を養う保守的な側面と、
病気を攻める攻撃的な側面が存在すると言われます。
前述の話と重複しますが、保守的な用途に用いるか、
それと病状の用途に用いるかという点でも、人参の服用法は変わってきます。

「人参」で服んでおきたい漢方薬とは即ち、
目的に応じて人参の多彩な効能を活用していく漢方薬を意味します。
それには例えば、人参湯(人参+乾姜:腹部を温解、嘔吐・下痢を止める)
小柴胡湯(人参+柴胡:胸脇の熱を和して、みぞおちの痞えを取る)
麦門冬湯(人参+麦門冬:肺を潤して、咳を鎮める)などに一服の価値があります。

子どもの穴患いのように、正気を乱しやすい(=不安定で邪気に転びやすい)
状態を、漢方では解毒証と呼びます。

解毒と言うと「体に悪いものが存在して、それを盛んに解消している」
と想像するかもしれません。
解毒証に関しては、半分が正解で、半分が誤りです。
解毒証の場合は、体に存在しないはずの毒を仮想して、盛んに解毒を行っている状態。
早い話が、機能的な混乱が起きている状態です。

解毒を行うこと自体は良い事だから、別に問題ないのでは?と思うかもしれませんが、
漢方でいう解毒のアクションは、自らの「毒をもって毒を制す」という働きに基づきます。
人の体は、自前でも毒を作り出して、それを道連れに
(=自前の毒に対する体の反応を活かして)侵入した毒を退治していきます。
今でこそ解毒=中和のニュアンスを含みますが、
昔はむしろ荒療治としての傾向が強かったようです。
特に解毒証の場合は、退治するべき毒が存在せず(=無形の毒)、
勝手に自前で毒を作り出して、その毒に反応するという過程だけを繰り返しており、
まさしく、当て(=解毒の当て)もなく放浪する状態に近いです。

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漢方では解毒証を、心身がバランスを欠いて
陽に大きく傾いた状態(陽実・陰虚)と見立てます。
陽に傾くほどに「自前で毒を作り出す」という反応も、また強くなります(=陽実)が、
繰り返される解毒は、不要な消耗を及ぼし、穏やかな疲弊(=陰虚)を招きます。

解毒証(陽実・陰虚)になる経緯は、人によってさまざまです。
子どもである(=陽が盛ん)ということもその一つですし、
木の芽時で陽気が強くなる事も要因の一つです。
世の中には陽実を招く要素が無数にあり、それに七転八倒する(?)のが解毒証とも言えます。
なお、西洋医学的には、解毒証は免疫のバランスを欠いた一病態として解釈され、
自律神経系・内分泌系のバランスが大きく寄与すると言われます。

蛇足ですが、人の解毒証は突き詰めると、戦と平和の関係にまで及ぶと思います。
世を平定するには戦が必要だったけど、戦が激しくなれば平和は逆に遠ざかる。
平和を守る心が無ければ、戦は平和は傷つけてしまう。

人の体も同じではないでしょうか。
平和(=中庸)の精神が欠けると、良かれと励む行為が体を傷つける。
解毒証もその一つだと思います。

育ち盛りの子どもは、しばしば頭の穴患いに悩まされます。
頭に開いた穴は、口や鼻、耳などの感覚器官のことで、
それらに現れる扁桃炎や鼻炎・副鼻腔炎、中耳炎を、穴を患う病態=穴患いと呼びます。

大人の体に比べて、子どもの体は、
全身に占める頭部の割合が大きいのが特徴です(成人の8頭身に対して、1歳児は4頭身)。
また頭と足の距離が近ければ、足の熱は頭に及びやすくなり、
「頭温足熱」の様相に近づきます(健全な大人の場合は頭寒足熱)。

加えて、子どもは体温が高く、積極的に熱を逃していきます。
頭に開いた穴も、その手段の一つになりますが、
それは必然、穴に熱が集中することを暗示しています。
さながら「人の熱難の相は、穴の周囲に現れる」といったところでしょうか。

このような理由で、幼少期の子どもは昔から、頭の穴患いに悩まされてきた経緯があります。
そして昔の子どもに基づく話は、今の子どもにも通用します。
ただし、それ自体は病気ではなく、体質に基づく一時的な症状と認識されていました。
成長と共に、体の熱を制御できるなれば、自然と消失していく病態でした。
それに対して今の子どもは、アレルギーや食生活を通じて、
熱に惑わされると共に、そのコントロールが未熟で、
むしろ逆行の道を辿るようにも感じます。

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漢方では、体に開いた穴は気の通り道(気の出入りを行う場所)とされ、
穴を開くことも、また塞ぐことにも気が及ぶと考えます。
即ち、穴を塞ぐのが邪気であり、穴を開くのが正気であるいう訳です。
ただ、「朱に交われば赤くなる」ように、邪気が及ぶ正気は邪気に転じ、
正気が及ぶ邪気もまた正気に転じる関係にあります。
(色即是空とか、是非もなしとかいう世界かもしれません・・・)
要するに、子どもの穴患いのように、繰り返し起きる症状では
絶対的に駆逐すべき邪気は存在せず、
正気を濁さず整えていく(=扶正する)ことが求められます。

子供の穴患いに服んでおきたい漢方薬とは即ち、穴に通じる気を清める漢方薬を意味します。
それには例えば、黄耆建中湯や柴胡桂枝湯、
あるいは柴胡清肝湯や抑肝散加芍薬黄連などに、一服の価値があります。


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