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西洋医学での肺は臓器(臓腑・部位)を指しますが
東洋医学での肺は働き(機能・能力)を指します。

前回も触れましたが、肺の機能・能力は
身体の清潔さを保つ=汚れないように予防する事です。
肺を使って行う呼吸、気管に伴う咳・痰、皮膚に現れる症状。
これらは全て、身体の清潔さを保つ上で必要な、自然な行為です。
身体の清潔さを保つ為には、
肺を積極的に、そして上手に使うことが大切になります

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身体の清潔さを保つのが上手な人は
症状で言えば、短期に集中して起こり、長引かない人。
肺を適切に用いて、症状を短期に鎮める事ができる人です。
余談ですが、咳に用いる漢方薬の多くは、
肺の働きを盛んにして、咳を引き起こす汚れ(邪)を排除することに優れます。

清潔さを保つのが下手な人は
症状が慢性化したり、アレルギーのように連続して起きる人。
そういう人の多くは、清潔さが脅かされている、
清潔さを保つ上で、何らかの不具合を伴うといった問題を抱えています。
呼吸器や皮膚の清潔さを保つつもりが
過度に反応して空回りして、汚したり荒らしたりしてしまう。
そういう肺の持ち主は、肺を使い慣れてない、もしくは酷使し続けてしまったなど
そういう形で、肺を上手に使えない人です。
必ずしも下手という訳ではないのです。


漢方では、呼吸器は肺(の臓)に属します。
五臓六腑の中で、肺は一番の清潔さを発揮します。
汚れ・穢(けが)れを嫌い、それらを外に追い払う。
そんなスッキリとした清潔さこそが、肺の特徴です。

肺の性質は、言い方を変えると、肺自身の汚れにくさ・穢れにくさです。
身体が強いかどうかを「疲れにくさ」で判断するように
肺の強さは、その「汚れにくさ」で判断する事ができます。
そして汚れにくさとは、汚れに対する抵抗力・回復力に支えられます。

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抵抗力というキーワードは何かと注目されますが
よくよく考えると、抗うとは「それ以上悪くなる事に抗う」という意味ですから
純粋に抵抗力だけを高めても、それで肺が強くなる訳でありません。
むしろ逆に肺が強くなり、その結果として抵抗力が高まるという順序が自然です。

肺を強くするには、汚れに対する回復力を高める事が不可欠です。
回復力の高さは、先に述べた肺の清潔さにも通じます。

個人的な見解として、抵抗力は瞬発的な回復力を指すんだと思います。
だから、回復力が乏しければ、抵抗力も正常に機能しません。


朝冷え、夜冷えを感じやすい秋。
秋の大気は、小刻みに変化します。
小刻みに変化すれば、不安定になり
大気は整然とせず、乱雑になっていきます。

そういう意味で、秋の変化(秋風)には
大気の乱れ・穢れが生じます。
漢方では、そうした存在を邪と呼びます。
邪自体は特別な存在ではありません。
日向に伴う日陰のごとく、身近に存在するものです。
そして大気に邪が伴うと、人の体表面(皮膚や粘膜、呼吸器など)も邪の影響を受けます。
その結果、肌寒さや喉の違和感、アレルギーを訴えやすくなります。

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また一方で、体内にできた邪が体表に出現する場合もあります。
不摂生の・・・、疲労の・・・、神経性の・・・、
そうした蓄えた邪は、穢れとして体表面に反映されます。

秋には身体の穢れ・邪を払い、体表を清めることが大切です。
特に、呼吸器症状や肌荒れ、痒みに悩まされる人は
秋の邪に感化されやすい状態にあります。

呼吸器が弱く敏感な人は、肺がすぐに穢れる状態にありますが
それは自浄力(自らの体表面をきれいにする働き)の弱さの裏返しです。
肺を強くする漢方薬というのは、
肺の自浄力を高め、継続して邪を払い、肺を穢れにくくする方剤の事を指します。


スポーツの秋。読書の秋。芸術の秋。食欲の秋。
いずれも、秋の良さを活かした過ごし方。
けれど、どれかに一つに偏ってしまえば、不自然さを伴います。

三位一体
運動を通じて、心身に適度な活発さを与えつつ
読書や芸術を通じて、秋の穏やかさを感じつつ
食事を通じて、冬に向けての栄養を高めていく。

秋は、全ての動物や植物、そして全ての人に等しく訪れます。
けれどその下で、不相応な過ごし方を行えば、秋を遠ざけてしまいます。
かといって逆に何もしなければ、そこには季節感すら存在しません。
そういった振舞いは、甚だ不自然な事だと思いますが
現代の生活には、そんな不自然さを伴う側面もあります。

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秋の良さを活かした過ごし方は、考え方を変えると
秋を自らの手で招き入れる、受け入れる行いにもなります。
ただ理想は、秋に新しいことを始める、今までの行いを止める、
英語で言うところの「change」に相当するものではなくて
一年を通じて、自らの行いに相応の変化(移ろい)をつける、
英語で言うところの「turn」に近づける事です。

スポーツの秋、読書の秋も本来は、秋だけに励めという意味ではなく
他の季節以上に取り組みやすいことを示唆する訳ですから。

一年を通じて行う事が、心身にとっての芯の部分を作り
季節に応じてそれにつける変化が、伸びしろの部分を作ります。


秋に入り気温が下がるのが、自然な事ならば
気温が下がり、肌寒さを感じるのは、人の身体にとって自然な事です。
自然界で陽気が衰えると、人の身体も陽気を引き出すのが億劫になる。
そういう自然さが、人の身体には備わっています。

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けれど一方で人の身体には、自然界の陽気が衰えれば
それに反発して、自らの陽気を高める自然さも備わっています。
わかりやすく言うと、周囲と同調する一方で、
周囲に反応/抵抗する自然さも有している
という訳です。
ちなみに前者は陰的な自然さ、後者は陽的な自然さとしても解釈できます。

秋を健康的に過ごすには、2つの自然さのバランスが重要です。
どちらか単体だけでも、2つがアンバランスでもうまく行きません。
その事を突き詰めると、秋を感じながら、秋を意識した生活を過ごす
というのがとても大切になります。



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