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地図から学ぶ、生薬(きぐすり)のふるさと
家庭薬配置業
富山の売薬は、現在では家庭薬配置業といい、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。 家庭薬配置業は、お客さんの家にまず薬を置いてもらい、半年から1年後に使用した分の薬代を集金し、古い薬を新しい薬に交換する、というサイクルを長く継続してもらうものです。
この商売方法を、富山では「先用後利(せんようこうり)」(用を先にし、利を後にする)と呼んでいます。 現在も富山では、多くの人々が配置薬業に従事し、配置用の製薬も盛んです。
富山の売薬業
売薬業は富山では江戸時代初期に始まりました。起源は定かではありませんが、富山藩2代藩主 前田正甫(まえだまさとし)公にまつわる伝説や、立山信仰の布教活動との関連、富山を代表する「反魂丹(はんごんたん)」という薬を伝えたという岡山の医者 万代常閑(まんだいじょうかん)の存在、などが挙げられています。
売薬人は、「懸場帳(かけばちょう)」という顧客台帳によって、商売範囲が決められており、この帳面が商売権を示します。売薬の同業者で組合を結成し、互いに協力する強固な体制を作って、他藩でも長く商売を続ける努力をしていました。よって、全国的に富山売薬の販路が広がったのです。江戸時代中期には「富山藩第一の産業」というほど、盛んになりました。
明治時代以降は、洋薬の影響や印紙税の賦課、そして幾度かの戦争により、商売が困難な時期もありましたが、昭和になって再び発展していきました。また、海外にも活動を広げています。
- ▲ 売薬行商用具
- <柳行李(薬・商売用具入れ)、風呂敷(柳行李を包む)、懸場帳(顧客台帳)、算盤、
- 矢立(筆入れ)、預袋(各家庭に薬を預けていく袋)、差袋(薬袋をまとめて入れる袋)>
富山の代表的な薬「反魂丹」
江戸期の富山の代表的な薬は「反魂丹」でした。富山藩内では売薬商売人を、「反魂丹商売人、反魂丹もの」などと呼んだほどだったのです。
江戸期は、売薬人たちがそれぞれ自分の家で薬をつくっていたため、家伝薬がたくさんあり、反魂丹の処方もそれぞれ多少異なっていました。資料を調べると、麝香、牽牛子、枳穀・枳實、黄連、丁子、縮砂、大黄、甘草、莪朮などの薬種が、ほとんどの処方に入っているようです。中には25の薬種を使う反魂丹もあります。富山の処方では、龍脳が入っているのが特徴であるという指摘もあります。
全国に販売するため大量の薬種が必要ですが、富山藩ではほとんど領内で薬種は採れません。主に大坂の薬種問屋から仕入れていましたが、長崎や薩摩から北前船で直接、唐物の薬種を運ぶこともあったようです。これは薩摩藩が、琉球や中国と交易するのに重要品だった昆布を、富山の売薬人が北海道より仕入れて廻送していたことと関係があります。
- ▲ 売薬のおまけ
- <紙風船、紙飛行機、売薬版画(江戸~明治期の版画)>
- ▲ 明治時代の「反魂丹」の薬袋
- ▲ 富山市売薬資料館 外観
現在の反魂丹は、胃腸薬として作られており、江戸期のものとは処方内容も異なります。
しかし生薬を中心とした配置薬用の製薬は、現在も続いています。
このコーナーの名前は、「生薬(きぐすり)のふるさと」ですが、
富山は「おきぐすりのふるさと」というほうがよいのかもしれませんね。
- はじめに
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