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地図から学ぶ、生薬(きぐすり)のふるさと
道修町(どしょうまち)とは
道修町といえば薬屋、薬屋の町といえば道修町といわれます。
それほど有名ですが、では、一体いつごろから道修町は薬問屋の町になったのでしょうか。
道修町は、秀吉の頃すでにある程度町の形ができていたようです。
薬種問屋が集住し始めたのは、寛永年間(1624~44)に堺の小西一族の小西吉右衛門が道修町に薬種屋を開いて以来といわれています。
享保7年(1722)八代将軍吉宗が大坂で病に倒れ、道修町から献じた薬で病状が回復したので、薬種商124軒に中買仲間の免許が与えられ、薬の町としての地歩を確立しました。
それ以来ずっと薬問屋の町として発展し続けています。
町名の由来
町名の由来については諸説あります。
このあたりは古くから道修谷と呼ばれていたという説が有力です。
2番目は、道修寺という寺があったからという説。
3番目は、北山道修という医師がいて、門前に薬屋が集まり、道修町になったという説。
そうではなく、道修谷にきたから彼が道修と名乗ったともいわれます。
4番目は、私塾が多く、懐徳堂(かいとくどう)も近くに位置していたため修学修道の地であるからという説などもあります。
道修町は難読地名の一つです。
当初は「どうしゅまち」であったのが、後になまって「どしょうまち」と呼ばれるようになりました。
神農祭
11月22日・23日に行われる道修町の秋祭りは少彦名(すくなひこな)神社の例祭です。
祭神は京都五条天神社から勧請(かんじょう)した日本薬の薬祖神少彦名命(すくなひこなのみこと)ですが、一般に「神農(しんのう)さん」と呼ばれているのは、もともと中国の医薬の祖神農を祀っていたからです。
五葉笹(ごようざさ)につるした張子の虎を求める参拝客で大賑わいですが、その由来は、文政5年(1822)大坂で三日コロリ(今のコレラ)という疫病が大流行した際、道修町の薬種商が「虎頭殺鬼雄黄円(ことうさっきうおうえん)」という丸薬を笹につるして授与したことからきています。
虎は百獣の長で、鬼をも食い殺すといわれるため、虎頭骨を入れた薬が霊験あらたかに思われたのでしょう。ユーモラスに頭を振る張子の虎は、現在大阪の郷土玩具の1つに数えられています。
くすり屋の町 道修町
平成9年に同神社の社務所ビルに「くすりの道修町資料館」がオープンしました。
薬種仲間の明暦4年(1658)以来の膨大な古文書が奇跡的に保存されていて、それらを整理し、一般公開まで成し遂げたのは薬業界の連帯の賜物といえます。
道修町は文学作品の舞台にもなっています。
谷崎潤一郎の名作「春琴抄(しゅんきんしょう)」は、7代も続いた道修町の老舗の薬問屋の娘お琴と、店の丁稚(でっち)佐助との物語です。
菊田一夫の自伝小説「がしんたれ」には、道修町の薬問屋で丁稚奉公した時の体験が出てきます。
彼の「道修町」という戯曲も、やはり薬問屋が舞台となっています。
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