漢方を知る

『あーだ・こうだの笑薬学のすゝめ』笑涯学習でがっちり健康長寿 『あーだ・こうだの笑薬学のすゝめ』笑涯学習でがっちり健康長寿

石塚左玄 の 病みな日々食物の食ひ違ひ 真面目の食に煩いはなし
一口にいうと、「親の親より食を正して

石塚左玄は、1851年(嘉永4年)に福井に生まれ医師・薬剤師でありながら、食医・食養家として世間に知られるようになりました。彼の最大の功績は、明治時代の文明開化で食や食文化までもが洋風化されて、日本の食が大変革をし、その結果日本古来の食療治病は乱れ、今後病気が増加すると警鐘(斬新なる大問題)を鳴らした点であります。書物の中で初めて「食育」の言葉を著し、明治時代から既に食の重要性と食による健康づくりを声高に言い続けて、診療所も開設しその事を実践しました。
化学的食養長寿論』として1896年(明治29年)出版し、その後、明治31年には『通俗食物養生法―化学的食養体心論』を発表。食によって人の心も変わる。更に、「学童を有する民は…体育、智育、才育は即ち食育なりと観念せざるべけんや」 「神様と思われん人つくるには親の親より食を正して」と言って、親の子供に対する家庭での食生活に果たすべき役割を説き、家庭での食育が最も大切であると言っています。
彼が主張した五つの原理に基づいた食べ方①食物至上論 ②陰陽調和論 ③穀物動物論 ④一物全体食論 ⑤身土不二論 を説明すると、

①食物至上論 「命は食にあり」、「病は口にあり

『食能く人を生ずるものにして、即ち食能く人を長大し、食能く人を健にし弱にし、食能く人を長生きにし、若死にするのみならず』 『病みな日々食物の食ひ違ひ 真面目の食に煩いはなし』一口にいうと、「命は食にあり」と「病は口にあり」ということであります。
貝原益軒は、「養生訓」で「食事も修養」という言い方をしています。食事は、単に欲望を満たす行為と考えてはいけない。一般に栄養価値が高く、消化の良いものは、食べるのが楽だから、おいしいと感じる。不消化物は無用と考えて取り除き、白砂糖で甘味をつけ、化学調味料をたっぷり使った方がおいしく感じる。消化の必要もないので胃腸は楽になるが、その反面、内臓は退化が進む。歯は抜け、胃腸はその機能を失って、切断除去しなければならないということになる。「人は食す可きを食し、食すべからざるを食せず、食するもその量を少く食し居れば、無病健康にして常に安心立命たるを得るなり」と強調しております。

②陰陽調和論 『料理には畑の物、海の物、肉は野菜に合わせ食ふべし 山と海との異体同心
 漢方医の和田東郭わだとうかくも陰陽の食について喚起

これは自分の身体の類型によって陰陽の食物を選んで食べると言うこと。漢方でいう正食には、食物にも陰性(身体を冷やす)食物と、陽性(身体を温める)食物というように区別がある。この中で玄米は、陰陽のバランスが最もよい食べ物と、勧めております。また、調理法によっても陰陽が変わる。煮炊きをして熱を加えると陽性になり、太陽光線に当てて乾燥させると、やはり陽性になり、たとえば、シイタケは生の時は陰性で、干しシイタケになると、陽性に変わる。逆に陽性のものでも、長く塩漬けにすると陰性に変わる。
酢は陰性なので、陰証の人は飲み過ぎに注意しなくてはならない。「青汁療法」も同様で、陰性食品で気を付けたいものに、白砂糖がある、と言っております。
江戸時代の漢方医の和田東郭わだとうかく(1744-1803)は「導水瑣言どうすいさげん」という本の中で、腎臓病で長く寝ている人は陰性で、陰証になっているから、古米でおかゆをつくり、その中に一寸四方ぐらいのコンブをいれて食べよ、と言っております。

略歴
厚生省国立衛生試験所 生薬部
元 広島大学 薬学部 准教授・薬用植物園園長
元 安田女子大学 薬学部 教授・薬用植物園園長
元 広島国際大学 薬学部 教授・薬用植物園園長
元 広島国際大学 医療栄養学部 教授
内閣府地域活性化伝道師

TOP