日本の西方は豪雨の傷跡が残っていますが、
近畿圏内のきょうは日差しが強くて、とても暑いです。
暑くなると、心身に伴いやすいのが だるさ 。
疲れとだるさは同じように考えがちですが、実は気色が少し異なります。
どこまでが疲労で、どこからがだるさなのかは定かではありませんが
個人的には、疲労よりもだるさの方がより進んだ状態に思います。
近畿圏内のきょうは日差しが強くて、とても暑いです。
暑くなると、心身に伴いやすいのが だるさ 。
疲れとだるさは同じように考えがちですが、実は気色が少し異なります。
どこまでが疲労で、どこからがだるさなのかは定かではありませんが
個人的には、疲労よりもだるさの方がより進んだ状態に思います。

がっちりした筋肉質の人でもそうではない痩せ型の人も、
共通して肉体的な疲労は訴えます。けれども 疲れやすさ は違ってきます。
同じように、精神的に「筋肉質」の人と、精神的に「痩せ型」の人では、
共通して精神的疲労は訴えますが、その疲れやすさは違います。
そして、何事も「筋肉質」の人には、耐えられるが故の脆さがあり、
何事も「痩せ型」の人には、耐えられないが故の脆弱さがあります。
生活習慣病は体の脆さの現れであり、
ある種の神経症は心身の脆弱さによるものとも言えます。
(だからといって鍛えられるものではありません。)
そうして、この2つを分けるのは、ずばり体の大きさです。
ここでいう体の大きさとは、
背が高い・低いとか、体重が重い・軽いとか、そういう事ではありません。
それは見かけです。
私などは、漢方は物事の本質を見抜く所に利点があると思っていますから、
体の大きさというのは、 器としての大きさ (器量?)の事を言います。
器が大きければ、そこに良いものをたくさん抱え込むことができる。
それをスタミナというのかもしれませんし、胆力というのかもしれません。
いずれにしろ、からだに良いものが十分に満ちていれば、
心身は強くなり、疲れにくくなるという考え方です。
共通して肉体的な疲労は訴えます。けれども 疲れやすさ は違ってきます。
同じように、精神的に「筋肉質」の人と、精神的に「痩せ型」の人では、
共通して精神的疲労は訴えますが、その疲れやすさは違います。
そして、何事も「筋肉質」の人には、耐えられるが故の脆さがあり、
何事も「痩せ型」の人には、耐えられないが故の脆弱さがあります。
生活習慣病は体の脆さの現れであり、
ある種の神経症は心身の脆弱さによるものとも言えます。
(だからといって鍛えられるものではありません。)
そうして、この2つを分けるのは、ずばり体の大きさです。
ここでいう体の大きさとは、
背が高い・低いとか、体重が重い・軽いとか、そういう事ではありません。
それは見かけです。
私などは、漢方は物事の本質を見抜く所に利点があると思っていますから、
体の大きさというのは、 器としての大きさ (器量?)の事を言います。
器が大きければ、そこに良いものをたくさん抱え込むことができる。
それをスタミナというのかもしれませんし、胆力というのかもしれません。
いずれにしろ、からだに良いものが十分に満ちていれば、
心身は強くなり、疲れにくくなるという考え方です。

ちなみに、器とその中身は漢方における陰陽の関係にあり、
中身が十分に満ちることで、器も少しずつ大きくなっていきます。
饅頭の中身が増えれば、より大きな皮が必要になるように、
一皮剥けて器が大きくなる。
陰陽調和して伸張していく、それが成長するという事なんでしょうね。
そして普段の元気な状態での器を真ん丸とすれば、
疲れているときのそれは、少し歪んだ形をしており、
どこかが出っ張ったり、逆に凹んだりしています。
それに対して、だるいときのそれは、器に硬さがない状態です。
ふにゃふにゃのような状態で形が定まらず、歪みも伴いやすい。
ちなみに、疲れやすさは器の中身の大小に影響されていきます。
中身が十分に満ちることで、器も少しずつ大きくなっていきます。
饅頭の中身が増えれば、より大きな皮が必要になるように、
一皮剥けて器が大きくなる。
陰陽調和して伸張していく、それが成長するという事なんでしょうね。
そして普段の元気な状態での器を真ん丸とすれば、
疲れているときのそれは、少し歪んだ形をしており、
どこかが出っ張ったり、逆に凹んだりしています。
それに対して、だるいときのそれは、器に硬さがない状態です。
ふにゃふにゃのような状態で形が定まらず、歪みも伴いやすい。
ちなみに、疲れやすさは器の中身の大小に影響されていきます。