青丹(あおに)よし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の
                        におうがごとく今さかりなり

万葉集に登場する有名なこの歌。
当時、九州の太宰府にいた詠み人が奈良の都をしのんでつくった歌です。

ここでいう「あおによし」は奈良の枕詞で、
青=碧色、丹=朱色で奈良の昔の建物などに
見られる柱の朱色が実は丹色であると
小学校の遠足で教わったことを未だに覚えています。

この丹色の「丹」こそが奈良・吉野地方で出土した水銀を多く含んだ鉱物の丹砂であり、
漢方でいう「朱砂」のことで古くは中国最古の薬物書「神農本草経」にも
記載があります薬物で辰砂ともいい、
漢方では不安・不眠・動悸・めまいなどの精神神経症状に用いられてきました。
代表処方は「朱砂安神丸」という有名な処方ですが、
残念ながら、私は一度も使った事がありません。
というのも水銀含有ということで、日本では使用禁止になったと聞き及び
使う機会に恵まれなかったのです。
(現在も使用禁止なのかは確認できていません)

ただ、この朱砂が出土したことを意味するであろうと思われる
丹生(にう)・丹治(たんじ)といった地名が近隣に残っていますし
丹生川上神社という立派な神社もあります。
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現在の丹生川上神社上社の様子

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立派なお社です。
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丹生川上神社上社からの山並み(自然に抱かれている感じが心地よい)
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当時の人々がこの吉野に特別の思いを抱いていたのは天皇の度々の吉野御幸でも推察されます。
おそらくは神仙郷のような位置づけであったのかもしれません。

今年は平城遷都1300年の年にあたります。
もし、平城京跡に行かれる機会がありましたら、
その柱の「丹色」の美しさに当時を思い浮かべて、
吉野にも足を延ばしていただけるとありがたいです。
当時の人の心をとらえたものに出会えるかもわからないですから。

 

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